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様々なアイディア、考察、ネタの種(旧その他)note

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私のnoteまとめ 思索/思考/心理/キャリアなど 分類できないもの/有料マガジン以外のもの 全てを収録します! 雑多なだけに宝庫かもしれませんよ!?
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#コラム

仕組みが発展を妨げていないか?

現代社会において、私たちは様々な仕組みに取り囲まれ、それが私たちの日常生活や仕事に大きな影響を与えています。一方で、これらの仕組みが時に発展を妨げてしまうことがあるかもしれません。 本来は効率よく、便利に、多くの人々が活動しやすいように作るはずの仕組みがなぜ逆効果になることもあるのか?考察してみましょう。 まず、仕組みが発展を促進する側面を見てみます。例えば、技術やインフラの発展により、情報のアクセスが向上し、コミュニケーションが円滑に行われるようになりました。これにより

「大したことない」と思える胆力を養う

妙に緊張しちゃったり、プレッシャーやストレスがかかる場面ってありますよね?少しでも「大したことない」と思えれば楽になるだろうし、乗り越えられそうな気がします。ただ、そうは簡単に行かないのも実際のところ。 スポーツコーチもそういったところをどうにかするためにいろいろと考え、工夫しています。「アレ」もその1つですし、その個人、クライアントにマッチする言葉を、意識やマインドの持ちようや持って行き方を一緒に考え、提案し、サポートしたりします。 さて、そういった工夫を今回はBard

思いつきに対して、どれくらいのリソースが必要かを考える

日常生活や仕事の中でさまざまなアイディアや思いつきを抱えることがあります。思いつくこと自体は問題があることではないし、むしろ歓迎することのほうが多いとは思います。 ただ、その処理や始末を間違えると迷いにつながったり、一貫性のない行動になったり、実現できずに焦燥感に陥ることも一切ではなくあると思います。少なくとも、思い浮かんだことを実現レベルに持っていこうと思えば具体的な行動に移すタスクや工夫、適切なリソースが必要です。 思いつきは創造性やイノベーションの源泉として重要です

旧い感覚を引きずらないように

新しいステージに立つ時、今までと違った環境へ飛び込む時。そこまで大きな変化でなくても、進級や新しいプロジェクトへ参加したり、仕事に変化した時など。 人はどうしても過去の経験や感覚にしばしば縛られることがありますよね。 新しい状況や挑戦に向かう際、旧い感覚を引きずらないようにすることが、成長や前進への鍵となります。ただ、分かっていてもどうしても過去の経験や感覚を応用すればうまくいくことも多いため、いついかなる場面でもこのパターンを踏襲しようとする意識が作用するのもやむを得ま

経年を比較することで見えてくること

時間が経過すると、物事は変化し成長します。または、残念ながら劣化したり、消失することもあります。積極的に取りやめることもあるでしょう。自身がそういった判断を下す、考察する際に重要なのは現在の状況把握と過去からの経緯などの要素だと思います。 比較することは時にネガティブな印象を与えることもありますが、むしろポジティブに活かすこともできます。要は活用の仕方次第だったりしますよね。変化を捉え、過去と現在を比較することは、多くの学びと理解、今後の指針や判断材料になります。 以前に

「量」はさらなる「量」を呼び込んだりするから

量の重要性は、私たちの日常生活や仕事において常に存在しています。しかし、量が単なる数値や量ることだけでなく、さらなる発展や成長への扉を開く要素であると捉えることが重要です。 ランニングにおいても、勉強であっても、発信や創作などでも同じで、量が全てではもちろんありませんが、重要な要素、目標や指標になることは間違いありませんし、たとえば仕事として納品する際にはやはり量が指定されることも多いでしょう。時間契約などもそうですよね。 ちなみに「量」と聞くと「最大量」をイメージするか

とにかく掘り当ててみようとトライする

未来を見通せる人はいないですし、ある程度の予測は立てつつも、やぱり基本的にはどういっても未知を進み、開拓していくしか方法がありません。そうであるならば、「とにかく掘り当ててみようとトライする」精神で果敢に、積極的に挑戦していくことでチャンスが生まれる可能性を高めていくことだと思います。 そうやってトライ、チャレンジし続けることで新たな可能性や発見、成長するための重要な要素となります。 まず、この精神が重要なのは目標や夢の実現においてです。目指す先が未知の領域であるほど、挑

要求、要望されないと気付けない、進まないこともある

日常生活や仕事において、他者からの要求や要望は正直、億劫に感じることもあるし、ストレスになることもあります。「助言」もそうですね。耳に痛い「提言」などもそう。一方で、薄々は分かっていることではあるのですが、実はこれが進歩や成長の鍵を握っていたりもします。 一時的には反発しても、なんだかんだで助言を受け入れたり、要求や要望に応えようとすることは力を伸ばしたり、信用や信頼を得る人の特徴だったりします。自分で気づくのってかなり、至難の技なんですよね。文章を書く時、デザインする時。

日記というか、週記みたいなのを書くのもあり

流石に毎日のことを記していくのは難しいけれど、レポートのように週数回、書き続けているものもあるし、週記(週報)くらいのペースなら書けないこともないかなと思います。 ちなみに、レポートで1番多いのが走遊Lab練習会。 もしくは、月報のような形で書いているのが月末のご挨拶なり、データまとめ。 ちょうどこの間、週くらいで何かをまとめていくとちょうど良い内容になるかもと思います。中身は時系列ではなく、インパクト重視なり、試行的にやっていくと、そのうち段々と固まっていくと思います

若いうちに「経営」に携わる経験と学びは大きい

年功序列が少しずつ薄れ、起業することも身近にはなってきたかもしれないこのご時世ですが、それでも「経営」を身近に考えることは情報として、勉強としてはともかく、本当の意味での実践、実戦に接し続けることはなかなか難しいのではないでしょうか? スポーツビジネスの世界やクリエイターの世界でも問題になったりするのがやりがい搾取ですが、一方でそう簡単に金銭で対価を払えない組織であるならば、その成長や経験を積むこと、学びを深化することを報酬にせざるを得ない部分もあるし、それはそれで得難い対

一気に歩を進めることの是非

時折、人生においては思い切って一気に歩を進める瞬間が訪れます。これは慎重に計画し、着実に歩みを進めることも大切ながら、時には大胆かつ決断的に前進することが、新たな展望や成果を手にする契機となる瞬間です。 一気に歩を進めることは、まず決断の瞬間から始まります。過去の経験や不安、未知のリスクに対峙しながらも、新しい挑戦や変化に向けて自らに問いかける瞬間です。この時、悩み抜いた末の決定が、一気に歩を進める原動力となります。 実は悩み抜く必要もなく、ある種の軽薄さをもって動けるこ

「当たり前」のことを書き続けることも必要

日常生活の中で、私たちはさまざまな瞬間において「当たり前」と思われることに接しています。しかし、その「当たり前」こそが、私たちの生活を支え、基盤となっています。このような「当たり前」の存在は、見落とされがちですが、逆にこれを意識的に書き続けることは、大切なことであると言えますよね。 「当たり前」のことを書き続けることの1つの意味は、感謝の気持ちを育むことです。「ありがとう」を漢字にすると「有り難い」。当たり前の「有る」「在る」は実際には多くの人の手や環境バランスなどによって

言い訳か、妥当な判断か

現代社会において、私たちは日常的にさまざまな意思決定を迫られています。その中で、自らの行動や選択に関して何かしらの理由や説明を求められることは珍しくありません。 この際、私たちは言い訳をするか、それとも妥当な判断を下すべきかという問いが浮かび上がります。 言い訳とは、自身の行動や状況に対して責任を逃れるために理由をつけることを指し、妥当な判断は客観的な事実や状況を考慮し、適切な判断を下すことを指します。(Bardさんより) 言い訳は、しばしば他者や状況のせいにして責任を

まずは創作者自身が納得いくかどうか

創作のプロセスは、しばしば他者の評価や期待と相克することがあります。しかし、その先にある重要な原則の一つは、まずは創作者自身が納得いくかどうか、という点です。このnoteでは、外部の意見や期待に左右されず、創作者自身が作品に納得し、充実感を得ることの重要性に焦点を当ててみました。 まず、創作者が納得いくことは、非常に大切で、根幹だと思います。noteもそうですが、作品は創作者の内面から湧き上がる感情や思考の表現であり、それが鮮明に現れることが重要です。外部の評価や期待だけで