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オリンピックと24時間テレビに思うこと


オリンピックと24時間テレビはとても似ている、と個人的に思う。

僕はかつてテレビ番組のAD(アシスタントディレクター)をしていた。ADといえば、キツイ、汚ない、帰れないの3K職業として知られているが、そんな世間的なイメージはだいたい合っていて、今の時代の働き方はそこにはなかった。

まさしく、その洗礼を受けた僕は1年半くらいで辞めた(飛んだ)わけだ。

さて、そんな短くも濃密なAD時代、24時間テレビの手伝いをした。僕は日本テレビとのパイプが太い制作会社に所属していて、あるバラエティ番組の制作を行っていたのだが、ニーヨン(業界では24時間テレビをこう呼ぶ人が多かった)の時期になるとほぼ強制的に各社からADやディレクター、プロデューサーが駆り出されていた。

文字通り、日テレグループを総動員した一大イベントである。

ご存知の方も多いかもしれないが、ニーヨンはなにかと評判が悪い。あからさまな感動演出や100kmマラソンの意義、募金を募るわりにギャラの高そうなタレントたちの起用…など、まあ文句をつけようと思えばいくらでもできる。

そんな悪名高きニーヨンで、僕が参加したのは「巨大ドミノ倒しに挑戦!」みたいなコーナーだったと思う。
ダンボールをいくつも作り、それで巨大なドミノを組み立て、最大級のドミノ倒しを行う、という内容なのだが、読者の方でピンときている人は少ないだろう。安心してほしい。僕も当時は意味不明だったし、今になってもあれがニーヨンで必要な企画だったのか疑問が残っている。

記憶が定かではないが、事の発端から書いていきたい。

レギュラー番組の業務がひと段落したのち、制作会社のプロデューサーから
「明日からニーヨンを手伝ってね」と言われた。
当時僕は、そうしたイレギュラーな仕事は断っていた。あるときは年末の笑ってはいけない系大型特番の手伝いを申し出されたが、「芸人のM氏が嫌いなのでやりません」と生意気にも言っていた。

ただ、ことニーヨンは同じ番組の先輩方も多く手伝うことになっていたので、とても断れる雰囲気ではなかった。

しぶしぶ、参加を了承すると翌日の朝5時くらいに、企画も拘束時間もわからぬまま、ドナドナとロケバスに詰め込まれた。蟹工船員の気分である。

ちなみに会社から5時に出発するので、家から間に合うはずもなく、有無を言わせず会社泊だ。こんな急な会社泊はADにとっては日常茶飯事である。

さて、しばらくバスに揺られるとどこかの田舎の体育館で下ろされた。
そこには無数の組み立て前の平たいダンボールが置かれ、多分、周辺住民と思われる人たちが立体形に仕上げていた。

現地でなんとなく企画の趣旨を聞かされ、とりあえずダンボールを組み立てる。
その時点でたしか、放送まで5日くらいしかなかった気がする。

僕たちは朝から深夜までダンボールを作った。
毎日、深夜2時くらいまで作業した。
そこからまたバスで会社に戻り、当たり前のように会社に泊まり、早朝バスに乗り込む。(一度、ビジネスホテルに泊まれた気がする)

マジで疲労困憊である。
人間が想像できるマックスの5倍は疲労困憊だった。

そんな極限状態のなかで、僕がしていることはなんの意味があるのだろう。誰が巨大ドミノを見て喜ぶんだろう。誰がこれをやりたがっているんだろうと、ずっと考えていた。

僕もニーヨンは好きではないので、あまり見たことはなかったが、ニーヨンのあのキャッチフレーズは知っている。
「愛は地球を救う」

闇雲にダンボールという資源を使い、制作の下っ端の僕ですらとても面白いとは思えない巨大ドミノ倒しをやろうとしている。少なくとも僕らは地球を救っている気はしなかった。

ろくに睡眠もとらず、真夏の体育館で作業している僕の意識は朦朧とする。
ダンボールを組み立てる機械と化していると、ようやく予定数のダンボールが組み上がったようで、今度はそれをくっつけて、倒れやすい位置に置いていく。

地元の工事作業員なども参加し、大規模なことになっていった。

なんとか全ての工程を終えると、いよいよ放送(中継)を待つだけになった。
中継当日には体育館に周辺住民が押し寄せ、中継車、技術さん(カメラ、音声など)も集まり、徐々に緊張感が高まる。

そこに局のアナウンサーが涼しそうな顔であらわれ、あとにやってきた某芸人としばし談笑している。

僕らは精魂尽きたような状態で、早く片づけをして帰りたい一心だった。

結果的に巨大ドミノは成功した、と思う。正直、もう疲れすぎてどうでもよかったので、よく覚えていない。
ただ、僕らがほぼ不眠不休で準備したコーナーの放送時間は5分ほどだった。

中継のときはアナウンサーが意気揚々とアオリ文句を謳い、芸人がデカイ声で現場を盛り上げた。そして、成功の瞬間は集まった周辺住民、子供たちが歓声をあげ、画面上では感動のひとコーナーだったかもしれない。

ただ、馬車馬のごとく働いた僕ら(僕)にその感動はないし、大変だったけどやってよかったという文化祭の後のような達成感もない。

虚無の感動シーンを作らされ、現場は、少なくともADたちは誰もそれをやりたくなかった。
当然といえば当然で、いくら頑張ったところでADにはニーヨン手当などのボーナスは出ないし、誰かのドキュメンタリーを撮るような意義あるコーナーでもないし、そもそも上から降って来たものを無理やりやらされているだけだからだ。やりがい搾取でもない、ただの搾取である。

僕の胸のうちにはいつまでも、この企画は誰がためにやるんだろう、なんのためにやるんだろう、というモヤモヤが残っていた。

ニーヨンは僕の短いAD人生のなかでもトップ3に入るくらい過酷な現場だった。
愛は地球を救うかもしれないが、高らかにそれをスローガンに掲げるテレビ局はADを救う気はないらしい。

長々と書いてきたが、このようなニーヨンとオリンピックに対する僕の感情は似ている。

もともと、オリンピックにそこまで興味があるわけでもない性分も大きいが、あの感動を喚起させるような演出と、いやおうなく応援を強制させられるような空気が苦手だ。それはニーヨンも同様である。

感動はこっちで勝手にするから口をださないでくれ、と言いたい。

さらにオリンピックは放送権、スポンサーなど大きな利権が絡んでいることは周知の事実である。国際的なイベントにこのような利権が絡むのは仕方ないことだが、特に今回の東京五輪は巨額のスポンサー収入があるにもかかわらず、ボランティアでタダ働きを募る、この状況で医療関係者を募る、膨れ上がる予算など問題をあげれば枚挙にいとまがない。(ここらへんは本間龍氏の『ブラックボランティア』『電通巨大利権』などに詳しい)

ひねくれものの僕はニーヨンのときと同じ気持ちになる。

オリンピックは誰がやりたがっているんだろう。

さる世論調査では国民の半分は中止を望んでいるというのに。

ニーヨンもおそらくスポンサーや局と芸能事務所など多くのファクターによって、別に誰もやりたくない(特に制作側が)のに進んでしまう。
もちろん、番組に参加した障がい者の方などにとっては大きな意味をもつこともあるだろう。

オリンピックに関しても選手にとって大切な舞台であることもわかる。

でも、極論を言うと勝手にやってほしいし、やりたい人だけがやってほしい。否定はしないので、やりたい人でやれる規模でやってほしい。かの蓮實重彦氏もあるコラムで「やりたい人がやればよろしい」と書いていた。その通りだと思う。

僕はニーヨンやオリンピック自体に反対なのではなく、その周辺の多くの雑音が嫌いなのだ。雑音に多くのリソースが割かれすぎて、無駄な犠牲(人員、労働、金)が莫大すぎる。

ロシアワールドカップが開催されていた頃、高円寺の喫煙所でライターをかしたロシア人青年が言っていた言葉を思いだす。

「自国で困窮している人も多いのに、莫大な費用をかけて開催する意味がわからない。僕はワールドカップは見ていない」

世界は繋がっている、と感じた。
僕も拙い英語で東京オリンピックへの批判を伝えた。

でも、一旦開催されれば人々は熱狂し、感動して不思議と「やってよかったね」という空気になる。

ニーヨンもサライが流れ始めるとそういう空気が流れ、制作陣のエライ人も会社で死んだように椅子で寝ているADを横目に「今年も終わったな!」なんて火照り顔で言うのだ。

既定路線で物事がはじまり、現場や周辺は疲弊しながらなんとか遂行され、最後は「結果よかったね」という空気が作り出されるニッポン。多分、これはどんな仕事でもあると思うが、ことオリンピックなどは度を越している。

余談だが、AD時代にオリンピック競技場の画像を2、3枚もらうため関係各所とやりとりをしたことがある。たった数枚の画像が送られてくるまで1週間くらいかかった。メールの対応やレスポンスもかなり悪かった印象がある。

なんて仕事ができない人たちだろうと思っていたが、彼らによって先の五輪は運営されるのだろう。まあ、彼らもニーヨンのときの僕と同じ気持ちでやっているのかもしれないが。


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