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映画ゆるキャン△観ました【ネタバレ有】

7/1公開、映画ゆるキャン△を観てきました。
「女子高生×キャンプ」という、手を出しにくい趣味を女子高生が楽しむ様子を描くことで、新たなブームのキッカケとなった作品のひとつですね。
かくいう私もアニメのゆるキャン△を観て、キャンプを始めたニンゲンのひとりです。
アニメは2018年に放送され、まだ新型コロナウイルスの無い世の中でしたので、キャンプブームはオタクを中心に拡がりを見せましたが、そもそもそれなりにお金のかかる趣味ではあるので、それ以上に盛り上がりを見せることになったかというと微妙なところもありました。当時私もキャンプグッズを買い集め、今では年5~6回ほどはキャンプに行く程度には趣味として楽しむことができています。

映画のあらすじ

漫画本誌では女子高生のメインキャラたちは、映画では社会人になってそれぞれの人生を送っています。地元の山梨を離れたり、地元で働いていたり…

主人公の志摩リンは名古屋で出版社に勤め、もうひとりの主人公の各務原なでしこは東京でアウトドアショップに勤めています。そのほかの野クル(作中で野外活動サークルとして活動する主人公らの集まり)メンバーは、犬山あおい(イヌ子)は地元の小学校教員、大垣千秋は東京のイベント会社勤め、斉藤恵那は東京でペットトリマー…
漫画で将来について触れられるシーンもありますが、それぞれが自分の興味のある分野で働いているのが分かります。大垣やイヌ子はハッキリと描写されていることはなかった気がしますが、いいところに落ち着いた将来なのかなと思いました。

野クルメンバーはバラバラになってしまいましたが、それぞれ休日に集まってキャンプしたり、実家に帰省した時に集まったり、ひとり暮らしのアパートに集まったり、野クルが社会人になっても良き友人になっていましたね。

物語は名古屋で出版社に勤める志摩リンに、名古屋に遊びに来た大垣が押し掛けるところから始まります。大垣は志摩リンと名古屋で飲みながら、「イベンターとして働いていたが結局地元に戻り、役所の観光事業に関わっていること」を話始めます。ベロベロに酔った大垣は自分が担当している、山梨の山奥で廃墟になっている林間学校の再生計画のことを愚痴ります。志摩リンは酔った大垣に対してめんどくさがりながらも、「キャンプ場でも作れば」と思いつきのように呟いてしまいます。しかし大垣は待ってましたとばかりにキャンプ場を作るということに食いつき、居酒屋の支払いを済ませ、その足で志摩リンを林間学校(山梨の!)へタクシーで連れ出します。
そして野クルメンバーへキャンプ場開拓事業を伝え、山梨県庁の承諾のもと野クルがキャンプ場を作ることになっていきました。

それぞれの役割と仕事

野クルメンバーは映画では社会人です。それぞれ仕事を抱えており、キャンプ場開拓は仕事の合間を縫って行っていくこととなります。そこで言い出しっぺの大垣は勢いのままに各メンバーに役割を命じます。

 志摩リン  :総合リーダー
各務原なでしこ:現場監督
 大垣千秋  :裏方
 犬山あおい :スケジューラー
 斉藤恵那  :広報

ムードメイカーの大垣はいつも勢いのままに突き進むために、やらかしも多々あるのですが、この配役はかなりキャラに合っているなと思いました。志摩リンはキャンプ歴長くバイクで長距離移動を難なくこなすし、なでしこは劇中でも体力オバケ。犬山と斉藤は映画序盤でかなり多忙であることが描かれており、仕事の合間でもなんとかなりそうな配役。
大垣はムードメイカーであり、イベンター気質のため裏方でいいのか?とも思いますが、大垣は「自分が企画を県庁と突き合わせる役目を負っている」こと自覚しているため、裏方といっても全体の動きを把握できて、調整が効くポジションをとるために裏方を名乗っているのでしょう。映画では大垣が主人公なのでは?と思うくらいには積極的に動いていましたね。もちろん、すべてが順調に進むわけではないのですが。

キャンプ場開拓と苦難

キャンプ場開拓といっても、キラキラしたものではなく、草刈りや地均し、邪魔な木の撤去など力仕事が多いです。慣れない仕事に苦戦するなでしこらですが、大垣のコネクションにより地元住人のアドバイスもあり、草刈り機などの道具を使いこなすようになりました。順調にすすむキャンプ場開発、野クルメンバーでテストキャンプを行ない、いよいよキャンプ場オープンも目に見えてきたところ、敷地内から土器の欠片が見つかります。山梨ではよくあること?らしく、調査のためキャンプ場開発は停止。おまけに県庁からは歴史的価値の方がキャンプ場よりも重要視されてしまい、キャンプ場開発自体がストップ。計画は頓挫…。

順調に見えたキャンプ場開発、野クルのメンバーも大人になりました。何もかもがうまくいくはずもなく、高校生のときのような感覚で野クル活動をできていたけど、「大人」になった彼女らに「大人の事情」が襲い掛かります。それぞれの生活に戻るみんな、動き出した時間が再び停滞するかのような閉塞感に包まれます。ここの描写は劇中の天気の描写も相まって重い雰囲気がかなりしんどいです。「女子高生×キャンプ」という、ある意味ファンタジーが否定されるかのような感じです。こういうところが観ててキツイ人もいるかもしれません、「アニメの中でくらい明るくキラキラさせてあげようよ」って。

言い出しっぺの大垣はやっぱり諦めきれず、ひとり計画を練り直します。どうすれば「納得できる結果にもっていくことができるか」…
「やりたいこと」と「大人の事情」の擦り合わせに向けて、県庁にプレゼンテーションを行います。これにはキャンプ場開発中の映像や、現場の発掘作業を手伝うなどの泥臭い活動が実を結んでいくこととなります。ここはかなりファンタジーというか、実際の発掘現場に素人の野クルメンバーが手伝いに入るなんてのが、実際に許可が出るのか難しいところと思いました。これは大垣の大立ち回りで県庁の許可をもぎ取ったとか、そういうのを想像するとよいですかね笑

はじめは思いつきのキャンプ場開発が目的でした。しかし土器の出土によって頓挫した計画。それを再度動かし始めるのは発掘作業に参加したり、計画を練り直して県庁を説得するプレゼンテーション力。彼女たちの行動が「大人の事情」を動かすキッカケを作っていくことに繋がったのです。
最終的に、「キャンプ場」 兼 「歴史資料施設」としての開発許可をもぎ取りました。

「時間経過」と「物語の流れ」

ゆるキャン△はアニメ作品です。アニメ・漫画では女子高生だった彼女らは、映画では社会人となっています。しかしアニメであるために、見た目上の「加齢による変化」の描写が難しいです。高校卒業・大学卒業・就職後1~2年目をイメージすると、原作時点からおそらく5~7年は経過しているが想像されます。アニメの性質上、キャラの見た目にそれを反映させることは難しく、キャライメージを崩すわけにもいかず、服装でなんとなく表現するしかなかったと思いました。
しかし映画中盤のキャンプ場開発頓挫時、志摩リンとなでしこが気晴らしで行った温泉のシーン。温泉で疲れを癒すシーンですが、高校生のときとは違う、仕事の話をしたり頓挫したキャンプ場計画の話をしたり。「あれから変わっちゃったね」「大人になったんだね」という雰囲気のなか、なでしこの声色がものすごく大人びた演技になっていました。これは作中での時間経過を観客に実感させる、声優さんの演技の賜物だなと思いました。

(なでしこの胸もちょっと大きくなってたよね?)

「ちくわの老化」と「映画の展開」

斉藤の愛犬「ちくわ」の老化も物語の展開を演出するキッカケになっていたなと思います。ゆるキャン△の作者はおそらく愛犬家もしくは犬好きだと思います。近影が犬だし、作中でも犬はそこそこ出てくるし。
劇中、チワワの「ちくわ」も老化しています。犬の寿命は長くても15~18年くらいです。10歳にもなれば人間では50~60歳ほどとなり、老犬の域に達します。映画は原作から5年以上は経過している予測をしましたが、当然ちくわもそれだけ歳を重ねました。
開発中のキャンプ場にちくわが来たときも「走っていてもすぐに休憩する」「寝ている時間が増える」など老化を示唆する表現が、映画序盤からぽつぽつあります。そんなちくわがキャンプ場で土器を初めて発見するのです。
映画の物語が停滞するきっけけをちくわが運びます。
ちくわは「自分が見つけたもの」が野クルメンバーを暗雲に包んでいるのもいざ知らず、のんびり暮らしていきます。まぁ、作中でもマイペースな犬として描写されてますし。

物語は進んで、キャンプ場開発再開を目論んで大垣たちが動き始めたころ。曇り空の下、斉藤と日課の散歩をするちくわ。「ゆっくりゆっくり」と呟きながら、ちくわの散歩に付き合う斉藤。近所の若い犬?とすれ違っても、気づかず?マイペースに散歩するちくわ、休憩なのか河川敷の傍らに座り、休憩を取ります。
いよいよキャンプ場開発再開に向けたプレゼンテーションを県庁に行なう大垣のシーン。そのシーンの切り返しではちくわの散歩シーンが流れていたと思います。再び歩き出すちくわ、雲の切れ間が斉藤とちくわを迎え、一気に晴れていきます。そして走りだすちくわ…。

キャンプ場開発再開は野クルメンバーが再び歩き出すことでもあり、
ちくわの歩みがそれを代弁するかのようでした。

愛犬家(犬に限らず、ペットロスに怯える者)にとって、ペットの老化は避けられず、ペットの日々の元気さは思い出に強く残っていると思います。それを映画の展開に上手く合わせて演出していて、とても刺さるものがありました。斉藤のペットという、サブキャラのようで劇中でも愛されるわんこだからこその配役であり、的確な配役だったと思います。

感想

映画を観る前、「社会人になったゆるキャン△は見たくない自分」と「映画が気になる自分」が私のなかに居て、公開から数日悩みました。別にゆるキャン△のこのキャラが好き!っていうほど、強く入れ込んでいるわけでもないしな~と思っていましたが、やっぱり映画になったことと、映画好きとしては劇場で観ておきたいな、という思いもあって観に行きました。
ゆるキャン△の作劇の都合上、どうあったって激しいアクションやどんでん返しはありえません(ゆるくなくなっちゃう)。それを分かったうえ、社会人になって考え方も少し変わった野クルメンバーをみると、いま社会人・大人になった自分に少し重みのある内容だったかなと思います。

大人になって「諦め」とか「行動力」とかの理解、壁ができたときの「妥協」の必要悪、そんな成分が多分に含まれる映画だったと思います。困難を避けることが得意になってしまった「大人」には苦しい現実を突きつける、辛い映画になっていたかもしれません。
ちくわの愛嬌と、原作とは違うキャラの大人びた様子が面白く、私にはそこまで苦しい映画には映りませんでした。原作でははしゃぎ役になりがちななでしこが大人びた声で「大人になったねぇ」というシーンは、なでしこへの好感度が爆上げになりました。(観てたのはおっぱいだけじゃねえぞ)
なでしこは漫画のほうでも精神面の成長が著しいキャラでもあるので、それに伴った表現になったのかなとも、漫画を読み直して思いました。

Twitterでは公開初日、「映画ゆるキャン△ 臭い」など最悪なトレンドがでていたり、いまでもサジェストに「臭い」がでるなど風評被害?がありましたね笑。
私が観たときは特に異臭はありませんでしたが、観客の年齢層がアラサーの私より一回り二回り年上と思しき人が多く、不思議でした。なんで?
オタクの高齢化現象ですかね、こわいね…。

オープニングはゆるキャン△してたし、エンディングはエモエモのTheゆるキャン△エンディングって感じで最高だったので、それを大画面でみるためだけでもいいから観に行ってくれ。

おわり。

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