【やが君二次創作】七海澪・お姉ちゃん奮闘記 0. For whom the flower blooms?
遠見東高校の第40代生徒会長選挙も投票日を迎え、演説を行う者もついに最後のひとりとなった。推薦責任者による非の打ち所のない応援演説のあとを受けてステージに立つのは、生徒会長候補筆頭と目される七海澪。背筋を伸ばし、確かな足取りでマイクの正面に立つ。しばし目を閉じ、また開くと、その瞳が一層輝きを増した。体育館にいた全員の視線が吸い寄せられる中、七海候補の堂々たる演説が始まった。
「このたび生徒会長に立候補しました、七海澪です。」
高校2年、5月6日
あたしは焦っていた。生徒会長選挙の投票日を間近に控え、ラストスパートのこの時期。投票当日には全校生徒の前で候補者演説をするんだけど、その内容がもう、びっくりするほど浮かばない。「このたび生徒会長に立候補しました、七海澪です。」以上です。どうしよう……。
あたしの選挙を手伝ってくれてるメンバーとあたしは自販機前のスペースにいた。ここには毎日何度か集まって簡単な打ち合わせと、それから「雑談」をしている。「雑談」の中身は半分以上が「もし自分たちが文化祭の生徒会劇をやるなら」。役員希望の子や美術部やら手芸部やら文芸部やらのメンバーといっしょに、お互い思いついたことを好き勝手言いながらなんとなく方向性を探っていく。ほんとにあたしが会長になれるかは正直なんとも言えない。だから気が早いって言われそうなんだけど、今のうちだからこそ「会長との打ち合わせ」なんて堅っ苦しい形式を採らずに自由なアイディア出しができる。もしあたしが生徒会長になれたら、劇に関してはかなりスムーズに動き出すことができるはず。手伝ってくれているメンバーは劇とか関係なく友達だけど、選挙にあたって声をかけたのはそういう話ができる人たちだった。
しかし、この日の話題はいつもと違って……
「みーおー。候補者演説の原稿、まーだできてないの?」
「うん……」
「もう本番すぐそこだよね?」
「はい……」
「由里華は責任者になった次の日には原稿仕上げてたじゃん……」
「ごめんなさい……」
隣ではその由里華が苦笑い。由里華は原稿をさっさと仕上げただけじゃなく、推薦責任者プラスアルファの激務をこなしながら原稿を改良し続けてるらしい。それに比べて会長候補のなんと頼りないことか、って話ですよ。やっぱりガラじゃないのかも。
こんなあたしだから、シャキッとしろって言ってくれる人がいるのはほんとうにありがたいことだと思う。ありがたいんだけど……そろそろ放課後の課外が終わって、校門の人通りが多くなる。生徒へのアピールにもってこいのタイミングを逃しちゃいそうなんだよねえ。
そのときふいに視線を感じて、あたしは顔を上げた。なにか言おうと口を開きかけていた由里華の横顔の向こう、見覚えのある男子と目が合った。あれは……チャンスは今しかないっ!
「お?あれは生徒会長候補の市ヶ谷くん!みんな、スパイだよ!!」
「えっ」
みんなの視線が市ヶ谷くんに向いた隙に、あたしは足元のタスキやらなんやらの入った紙袋をひっつかんで全力で走り出した。ちなみに走って逃げるときのポイントは由里華のいる側のルートを選ぶこと。由里華はやさしいからね。向こうでは市ヶ谷くんが唖然とした様子。あたしは自分の選挙活動で手一杯だけど、さすがに他の候補者の顔と名前くらいは知っている。市ヶ谷知雪くん。おしゃれな名前だよね。市ヶ谷って苗字もそうだし、なにより「雪」って字なところが。いや、その市ヶ谷くんがどうしてここに?ほんとに偵察だったりして……。
「覗きは感心しないけど、ナイスタイミング!じゃあね!」
スパイ活動に釘を刺しつつ、いちおうお礼まがいのことを言って、そのまま風のように走り去る。遠く後ろから「廊下を走るな」っていう声が聞こえた気がする。マジメな人なんだなあ。
課外を終えた生徒もひととおり下校し終えて、あたしの立つ正門はすっかりひと気もなくなってきた。そろそろ引き上げてみんなの様子を見に行こうかと思っていると、正門に向かってだれかが歩いてくる。いかん、いかん。あたしはシャキッと姿勢を正して備えたけど、歩いてくるのは……
「あれ?市ヶ谷くんだ。なんかお疲れだねえ。」
うん。お疲れの様子だ。心なしか肩を落として、とぼとぼ歩いてくる。
「間が悪いというかなんというか。課外受けてた人たちがさっきまでは通ってたんだけど、もうあんまり人来ないかもよ?部活が終わる時間ってなると……あと1時間半くらい?」
「その時間まで残るつもりなのか?」
市ヶ谷くんがびっくりしている。確かに、あたし以外にその時間まで学校に残っている候補者はいないと思う。
「そりゃあ、あたしもできることはやんなきゃね。みんなもがんばってくれてるし?」
ご存じの通り、演説の原稿もできてないし?情けない……。
そう、演説。あたしが生徒会長になった暁に、この学校をこういう風に良くしてみせる。あたしにはこういう強みがあって、こういうことを成し遂げられる。……そういうのがあたしには全然思いつかない。市ヶ谷くんにはあるのかな、そういうの。なんとなくだけど、きっとある。市ヶ谷くんはきっと持ってる。もう自販機前に戻った方がいい時間だ。だけど、市ヶ谷くんの話を聞いてみたい気持ちもある。どっちつかずのあたしは中途半端に踏み込んでみた。
「でも当分人来ないだろうから、しばらくジュースでも飲みながらさぼっちゃおうかな。せっかくだし、いっしょにどうっすか?市ヶ谷サン。」
「……いやダメだろ……。」
「ちぇー。ま、お互いがんばろうね。」
なんの迷いもなく断られて、あたしもあきらめがついた。周りの人に頼ってばっかのあたしだけど、自分の演説くらい自分でなんとかしなきゃ。はやく戻ろう。と、そのときふいに市ヶ谷くんが口を開いた。
「七海さんって、なんで生徒会長になりたいと思ったんだ?」
意外。向こうから踏み込んできた。原稿ができてないあたしに、いかにも答えづらそうな質問。あたしを追い詰めようとしているのかな?……なんて、つい嫌なことを考えてしまった。あたしも思っていた以上に参っていたらしい。生徒会長になりたい理由。ふにゃふにゃしてるあたしだけど、実はそこだけはハッキリしてて。でもなんか、あんまりおおっぴらにするような話でもなくて。
「それは、見栄ぇ張りたいっていうか……うーん、はずかしいから言いたくないなあ。」
おおっぴらにする話じゃないんだけど、嘘をついたりごまかしたりするのは苦手だ。演説だったらいっぱつで落選するようなふにゃふにゃした答えだったけど、そこに自然とついてくる言葉があった。
「って感じで動機はふわふわしてんだけど、いざ立候補したらさ、みんなあたしを生徒会長にするためにすごいがんばってくれて、それがほんとに嬉しいんだ。」
そう。だから。
「だから絶対会長になりたいし、みんなが助けてくれるからあたしみたいなのでもほんとに会長になれる気がしちゃうし、みんなの助けがあればほんとにこの学校をよくできちゃう気がするんだよねえ。」
助けてくれるみんなの顔が頭に浮かび、あたしの表情が緩む。あたしの強みなんてわかんないけど、あたしにはみんながいる。あたしになにを成し遂げられるかなんてわかんないけど、みんなとならきっとできる。だから、みんなの力をあたしに貸してください。……心の内から湧き出てきた言葉に、あたしは目を見開く。
「お?……おお!そうだよ!演説でも普っ通ーにこういう話すればいいじゃん!あたしのアピールポイントなんか考えるから詰まるんだよ!そっちは由里華がどうとでもしてくれるんだって!」
あたしの心のモヤモヤがぜんぶ晴れた。今ならきっと原稿も書ける。市ヶ谷くんのおかげだね。当の市ヶ谷くんはキョトンとしてるけど。目の前の市ヶ谷くんに対して「ありがとう」という言葉が出かかったけど、押し留めた。会長の座を争う相手。今は感謝じゃない。あたしなりの敬意をぶつける。
「市ヶ谷くん、敵に塩を送っちゃったねえ。来週月曜、勝負だよ!」
あたしは校舎へ向かう。昇降口の手前で校舎を見上げると、廊下を歩く仲間たちの姿がちらほら。その足はたぶんあの自販機前のスペースへと向いている。あたしの予想よりちょっとだけ早い。やっぱりジュース飲みながらさぼる時間はなかった。そうは言ってもさすがに喉が渇いたから、冷水機の水くらい飲んでいこうかな。ま、喉が渇いたのはさっきダッシュしたせいだから、自業自得なんだけどね。
あたしは自販機前のスペースに集まったみんなに演説の内容が決まったことを告げた。それから「いつもありがとね。」と労って、週明けの動きについて簡単な打ち合わせをして、今日のところは解散。あたしは残って演説の原稿に手をつける。由里華もいっしょに残ってくれた。原稿を一気に書き上げて、読む練習をして、気になったところを直した。そろそろ部活動生が下校する時間だ。練習の続きは家でやろうかな。あたしたちが正門に着くと、ほぼ同時に市ヶ谷くんもやってきた。
「また会ったね市ヶ谷くん。さっきあんなこと言ったばっかりだから、なんかヘンな感じだけど……」
さっき宣戦布告みたいなことをして、投票日の本番で会おうみたいなことを言ったばっかり。なんか締まらないなあ。
「待って。あんなことって何?何を話してたの?」
由里華がマジメな顔で尋ねてくる。マジメというか……深刻?
「いや、なんだ……七海さんはさぼってた訳じゃないからな。」
市ヶ谷くんがフォローに入った。あたしがまた叱られるんじゃないかって心配してくれたんだろうな。余計なお世話だよ!って言えないのが情けない。
「いやそういうことじゃなくて……うん、大丈夫。気にしないで。」
由里華もたぶんあたしと同じようなことを察して、ふふっと笑った。そうこうしているうちに、部活を終えた生徒たちが正門へ向かってくる。
……………………
「おつかれー!」
「澪おつかれー!今日はなんか賑やかだね?」
「市ヶ谷くんのこと?今日たまたま話して、あたしがこの時間まで残ってること知られちゃったんだよねえ。」
「あー、抜け駆けして票集めしてるのバレたんだあ。」
「ちょっと、人聞き悪くない!?」
……………………
「おつかれー!」
「おつかれっす!」
「きみ、今日グラウンドでいちばん声出てたじゃん。がんばってるね!」
「え……あざっす!うおお、めっちゃやる気でるっす!!」
「やる気といっしょに、清き一票お願いしまーす。」
「モチっす!!」
「澪、そんなだから先週も机にラブレターが……」
「由里華なんで知ってるの!?」
……………………
「おつかれ……こらー!ライト点けろー!」
「やべ……忘れてた。ごめんごめん。」
「あたしに票入れてくれたら許してあげます。」
「くっ……仕方ないな。」
「七海さん、今のはずるくないか?汚職だぞ。」
「し、司法取引だよ市ヶ谷くん。」
「学校の法を司る立場の人間は今決めてる最中だろ……」
「おう市ヶ谷、この時間にいるのは珍しいな!俺はこの通り七海に投票しなきゃだけど、なんとかコイツにひと泡吹かせてやってくれ!正義は勝つ!」
「ちょっとー!?人聞き悪いってばー!!」
……………………
学校から帰って居間のソファでひと息ついていると、
「お姉ちゃん、がんばってるね!」
すすす、と近づいてきて声をかけてきたのは7つ歳下の妹、燈子だ。
「ありがとう、とーこ。」
とーこはキラキラした尊敬の眼差しであたしを見ている。これだよ、これ。これがあたしのがんばる理由。これだけは最初からハッキリしている。妹にいいカッコしたいから生徒会長になりたい!なんて、やっぱりおおっぴらには言えないけどね。
「そうだ、とーこ。私今から演説の練習したいんだけど、聞く人の役をお願いしてもいいかな?」
「うん、聞きたーい!」
かわいい。別に練習なんてひとりでしてもいいんだけど、とーこと過ごす口実にしてしまおう。本番を想定して、原稿はカバンにしまったまま、見ないようにする。それと、せっかく本番を想定するなら緊張感を出そう。とーこのいるこの家はあいにく、最強のリラックス空間になっちゃうから。
緊張感を出すために、あたしは目を閉じて、「最悪」を思い浮かべてみた。ステージから見渡す景色。たくさんの生徒。選挙に興味がない人、寝ている人、私語をしている人、はやく終われと思っている人、あたしが生徒会長になることを望まない人。今日市ヶ谷くんと話すまで渦巻いていた焦り、不安、モヤモヤしたものもぜんぶ掘り起こし、引きずり出す。口の中が渇き、手足が震えてきた。
「…………っ」
あたしはこわくなって、たまらず目を開けた。目の焦点を取り戻すと、視界の中心にはさっきまでと変わらずキラキラ輝くとーこの顔があった。注がれる温かい視線が、あたしにこびりついた不安をキレイに洗い流していく。あたしは気づく。逆なんだ。「最悪」を想定して慣れておくんじゃない。本番がもし「最悪」だったとしても、この顔を思い浮かべるんだ。あたしは試しにもういちど目を閉じてみた。とーこの顔が瞼の裏にくっきりと焼き付いている。震えはいつの間にか止まっていた。あたしはもう無敵だ。あたしにはちっちゃな勝利の女神がついている。目を開けて、話し始める。
「このたび生徒会長に立候補しました、七海澪です。」
高校2年、5月10日
投票翌日、あたしは自分で掲示を見るより先に自分の当選を知った。いろんな人がおめでとうと言ってくれた。あたしも当選の掲示を見てから自販機前のスペースへ。手伝ってくれたみんなにお礼を言う。文化部のみんなは今日から自分たちの活動へ戻っていく。ほんとうにありがとう。残った新生徒会メンバーでさっそく仕事に取りかかる。と、そのとき、選挙結果の掲示の前に、すっかり見慣れた顔。
「あれ、市ヶ谷くんだ。おつかれー!」
市ヶ谷くんが振り向く。
「いやあギリギリだったけど、勝ててよかったよ。」
そう言ってすぐ、軽はずみだったと思った。ほんとうにギリギリで勝ったんだろうとは思ってるけど、落選した人への声のかけ方として、さすがに無神経すぎたよね。
「票数わからないでしょ。適当言ったら逆に失礼だからね?」
あたしと同じことを感じたのか、由里華がめずらしくあたしに注意した。市ヶ谷くんはたぶんあたしと違って、この学校をよくするために立候補していた。あたしみたいなのに負けたのには思うところもあるはず。市ヶ谷くんから見たあたしは仲間に叱られて走って逃げるようなやつで、しかもサボリ魔。また情けない気持ちが湧いてきた。すぐに謝らなきゃと思って口を開きかけたけど、市ヶ谷くんの方が早かった。
「七海さん、生徒会役員の枠ってまだ空いてるか?」
えっ、なんで?あたしは目をぱちくりさせた。市ヶ谷くんはあたしになにかを見たんだろうか……。わかんないけど、味方になってくれるなら心強い。
「今んとこ1・2年ふたりずつだから、大丈夫だよ。……っていうか、探してたんだよね、最後のひとり。早速だけどこれにサインしてもらってもいいかな?」
あたしが手渡した用紙に市ヶ谷くんが手早く記入する。あたしは返された用紙を眺めた。あたしの新しい仲間、市ヶ谷知雪くん……ふむふむ。
「改めてだけど……おしゃれな名前。『雪くん』だね!」
「はい?」
「じゃあ雪くん、早速だけど、コレ……」
雪くんはなんだか戸惑ってる様子。いいあだ名だと思うんだけど。あたしは手に持ってた書類をまるっと雪くんに渡した。
「職員室に出しといてくんない?終わったら生徒会室集合で!それでは……解っ!散っ!」
仕事の分担をしたとき、1年生・麻友ちゃんの持ち分が多いのが気になってた。これであたしが半分もらえる。みんな一斉に動き出す。……雪くんはまだ戸惑ってる様子で取り残されてたけど。頼りにしてるよ、雪くん。
あたしが仕事を済ませて生徒会室に着くと、先客がいた。由里華と、雪くん、それから、選挙の手伝いが終わったはずの文化部のみんな。どうして?あたしに気づいた由里華が声をかける。
「澪、お疲れさま。今引き継ぎやってるから、ちょっと待ってようか。」
「ん、りょうかい。」
なるほどね。……あれ?引き継ぐ?なにを?
「市ヶ谷くん、澪がさぼらないようにちゃーんと見張っといて!由里華は真面目な子だけど澪には激甘だから、市ヶ谷くんがしっかりしなきゃだよ!」
「任せてくれ。俺の目の黒いうちは、さぼらせなんてしないからな!」
「うげっ……」
かくしてあたしの忘れられない苦難の日々が幕を開けたのであった。
(For whom the flower blooms? おわり)
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