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【やが君2.5次創作】「舞台の上へ」

登場人物
七海澪

遠見東高校1年生。クラスの文化祭実行委員。
山根由里華
遠見東高校1年生。七海澪のクラスメイト。本稿の視点人物。

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「ぐえー、疲れたあー。」

文化祭当日の正午過ぎ。天気は快晴。喫茶店の内装になった隣のクラスの教室内。机を挟んで向かい側に座る髪の長い女生徒が、机にだらしなく突っ伏して呻いている。七海澪。このクラスメイトのことを入学から半年以上見てきたが、私は未だに彼女のことを測りかねていた。

「澪、お疲れさま。」
「ありがと、由里華。シフトが1時間って長すぎたかな?30分を2回にした方がよかったかも。」
「交代するのにも手間がかかるから、良し悪しでしょ。私は1時間でよかったと思うけど。」

シフトというのは、私たちのクラスの出し物、おばけ屋敷の係員のことだ。私は裏手から釣り竿状の棒きれで人魂を吊って、適当に動かすだけの仕事。特に体力を使わないので1時間でも苦ではない。もちろん役職によっては少々疲れるだろうが、この七海澪の疲弊のしかたは普通ではない。

「澪がかんばりすぎたんじゃない?幽霊役、ばっちり決まってたじゃん。楽しくなっちゃったんでしょ。」
「あー、たしかに楽しくなっちゃったねえ。ま、あたしも実行委員だから、そりゃがんばるけども。」

髪が長いからという安直な理由で、七海澪は女の幽霊役を買って出ていた。文化祭準備期間で試しにやってみたときも彼女はノリノリではあったが、その日は特段疲れた様子もなく、けろっとしていた。シフト以外に疲れる要因があったのではないか。私はふと思い当たり、七海澪に尋ねた。

「そういえば、澪の家族が来てたんでしょ?そっちはそっちで疲れる部分もあるんじゃない?」
「んーん?そっちは全然疲れないよ?」

七海澪は本当に何でもない様子で答える。一般論として、高校生が文化祭を家族と過ごすというのはあまり嬉しいことではないように思うのだが。ともあれ家族とかなり良好な関係にあるようで、私は素直に感心する。

「へえ。仲いいんだね。そういうの、いいよね。」

この会話を最後に、七海澪は突っ伏した姿勢で、目を開けたまま動かなくなった。本格的な休息に入ったのだろう。私はまだ熱いコーヒーのカップを口許に運び、舌を火傷しないよう注意深く口をつける。それから死んだように動かない七海澪を一瞥して、彼女との日々を思い返す。


「七海澪といいます。高校生活に不安なことも多いですが、がんばっていこうと思います。よろしくお願いします。」

入学初日、クラスの前で自己紹介する七海澪を見てまず抱いた印象は「姿勢が良い人だな」だった。ハキハキ喋るし、品行方正、入学直後のテストの結果も良い、絵に描いたような優等生だと思った。たまたま隣の席だったこともあって、私は七海澪とよく話すようになった。優秀で素行も人当りも良い七海澪と接することは、私にとって良い刺激になっていた。しかし、入学して半月ほど経ったある日。

「山根さん……ちょっと折り入ってお願いが……」

その日の七海澪は表情も姿勢もふにゃふにゃで、教室に入るや私に縋りついてきた。私が混乱しながらも用件を訊いてみると、

「……宿題見せてくださいっ!」

七海澪は深々と頭を下げ、額の前で両手を合わせた。いつもより背が10センチくらい縮んで見える。情けない姿だった。私は何が起こっているのかわからず、何も言えないままプリントを手渡した。ものの5分で私のプリントを写し取った七海澪が私のところにプリントを返しに来て、

「助かったあ。ありがとね。」

と言って笑った。優秀な彼女からは想像もつかない、ふにゃっとした笑顔だった。情けない顔だと思った。私は混乱のあまり、受け取ったプリントを取り落とした。

その後も七海澪は優秀な生徒だったが、月に1度くらいだろうか、軽度の、しかしどう考えてもらしくない失敗をやらかした。朝のチャイムが鳴ると同時に息を切らしながら教室に飛び込んだり、忘れ物をしたり、宿題が終わっていなかったり。そうして私や他のクラスメイトに助けられては、あのふにゃっとした情けない笑顔を見せるのだった。もっとも、そういうミスは誰にでもあるものだ。しかし普段の七海澪はそういった隙を一切感じさせない。どうしても両者が結びつかない。ちぐはぐなのだ。私はきっと何かを見落としている、そんな気がする。しかしそれが何なのかは掴めずにいる。


この文化祭の準備期間も七海澪は優秀そのもので、その手際の良さに私は感心させられてばかりだった。

「じゃあ、あたし、実行委員やりますね。」

実行委員の希望者がいないと見るや、話し合いが間延びする前に名乗り出た。七海澪はクラスが全体として文化祭の出し物に対して意欲的でないことを察していた。早々に次のステップへ向けて場を仕切り始める。

「さて、と。出し物ですけど、なんかやりたいことある?なんでもいいよ。てきとう、てきとう。」

ただの雑談のような調子でアイディアを募る。気安さからか、本当に適当な意見が出てくる。そしてまた教室が静かになる寸前、間延びしないタイミングで七海澪が再び口を開く。

「個人的には『お化け屋敷』が気になるなあ。内装と小道具をそのへんのてきとうな材料で作っても部屋を暗くしちゃえばわかんないし、おカネをかけずにアイディアで勝負できると思うんだよね。」

みんな出し物にこだわりは特になく、そのままおばけ屋敷に決まった。今思えば「アイディアで勝負」という言葉によって、文化祭というものに対して斜に構えていた層に火が点いたような気もする。その後の準備でも七海澪はクラスを導いていった。クラスメイトがだらける前に容赦なく仕事を振っていき、その代わりにいつも早い時間にその日のノルマを消化して解散した。準備は万事順調に進み、出し物は期待以上の仕上がりになったが、それは疑いようもなく実行委員・七海澪の手腕によるものだった。


しかし、今私の目の前で伸びているのは、ふにゃふにゃした、情けない、優秀じゃない方の七海澪だった。やはり私は七海澪という人物を測りかねている。私は何を見落としている……?

今一度七海澪を見る。虚ろな目をして、口を半分開けていても尚、顔立ちが整っているのがわかる。彼女の曖昧な視線は私の口許に移っていた。コーヒーから立ちのぼる湯気もやさしく落ち着いてきて、舌を火傷することへの警戒心を解きほぐす。もう普通のペースで飲むこともできそうだが、ここは七海澪の回復を待ってやっているという雰囲気を出すことにする。

「澪、見た感じだいぶキてるよね。もう10分くらいその死体役、続ける?」
「んー……大丈夫。あと5分で生き返る。」
「りょうかい。……どこ行こっか、この後。」
「んー……」

七海澪は机に突っ伏したままではあるが、目の焦点を取り戻し、私が机に広げたパンフレットを一緒に眺めた。

「生徒会劇?なんだろ、これ。由里華知ってる?」
「あー、うちの高校の伝統だって誰か言ってたかも。」
「へえ。ちょっと行ってみない?」
「いいね。」

劇まで時間があるからと、七海澪は劇の会場である体育館への通り道にある教室へ寄り道しようと提案した。どこに寄ってもいいと私が伝えると、七海澪はぱっぱと計画を立てていく。こんな有り様でも頭の切れる彼女に安心するような、混乱するような。きっかり5分後に席を立って歩き出す。疲れが抜けきれないのか、歩く姿が少しぎこちない。顔の広い七海澪は道中でも多くの生徒から声を掛けられていた。

「あ、澪だ!幽霊の役めっちゃおもしろかったよ!」

「澪、『幽霊のひと人間辞めてて感動した』って話題になってたよ?」

「え、ウソ!幽霊のひとですか!?やった、サインください!!」

……七海澪は一体何をやらかしたのか。私は自分のクラスの邪魔をするのもどうかと思ったので、今日のおばけ屋敷は見に行っていない。それを少しだけ後悔した。これだけの反響ならば大成功と言ってよいはずだが、当の七海澪はものすごく不満そうだ。

「由里華由里華由里華!なんか、評判が、思ってたのと違う!」
「思ってたのって?」
「あたしは、この地上を恐怖で覆い尽くそうと……」

言い方が残念でわかりづらいが、七海澪は怖がらせることにこだわっているらしい。おばけ屋敷なのだから当然ではあるのだが、これだけ評判なのに意固地になる理由がわからなかった。

「私は今日の分を見てないからわからないけど、やりすぎて浮いちゃったんじゃない?夜の山奥で同じことやったら怖がってもらえたかもよ?」
「それはほら、シャレになんないから。」
「じゃあ今日は『シャレで済んで良かったな、生ける者よ』ってことで。」
「ま、よかろう。その辺で譲歩してあげようか。」

お互い雑に締めたのは、目的地の体育館に到着したからだった。観覧席に着いてしばらくすると、開演のアナウンス。暗転し、幕が開く。照明に、衣装に、美術。たかだか4~5人の生徒会役員だけでなく、相当な人数が関わっているようだ。準備にかかった労力が見て取れる。私は生徒会劇を甘く見ていた。

これほどの出し物で、七海澪が指揮を執ったらどうなるだろう、見てみたい気がする……そんな考えが頭を過ぎった。気の迷いだ。彼女が今年の文化祭実行委員になったのも成り行きで仕方なくという感じだったし、自分から進んでやるタイプではなさそうだ。隣に座る七海澪を見る。どんな顔をしている?暗くてよく見えない。しかしその姿は、今日の疲れが吹き飛んだかのように、背筋が真っ直ぐ伸びている。私は初めて彼女を見た日を思い出した。相変わらず、姿勢が良い人だな。

劇が終わり、私と七海澪は体育館の出口に向かう。彼女は何事か考え込んでいた。情けなく机に突っ伏していたときとは打って変わって、その歩く姿には一分の隙もない。真剣な表情でありながら、瞳が輝いて見える。何らかの心境の変化が見て取れるが、やはりその正体がわからない。私は何だか落ち着かず、七海澪に話しかけた。

「結構凝っててすごかったね、劇。……澪?」

体育館を出てすぐのところで立ち止まる。七海澪が真剣な表情と輝く瞳で、真っ直ぐ私を見据えた。

「由里華。あたし、生徒会長になりたい。由里華に手伝ってもらえたら心強いんだけど、どうかな?」

私は思わず目を見開いた。観劇中に一瞬だけ思い描いた妄想。生徒会劇を作り上げる七海澪。それが目の前で動き出そうとしている。私を巻き込んで。

「つまり、応援責任者ってことだよね。このタイミングって……もしかして、劇やりたくなった?」
「うん。」

半年間見てきて、自分なりに考えても、結局私には七海澪という人物がわからなかった。折角踏み込んできてくれるのだから、本人に訊いてみるのがいいだろう。私は七海澪の視線を正面から受け止めた。

「ひとつ教えて。澪が劇やりたいのって、何か特別な……具体的な理由があるの?」

七海澪は少し考えて、答えた。

「あたし、7つ下の妹がいてね。『とーこ』っていうんだけど。7つも違うとけんかもしないし、ただただひたすらかわいいんだよ。あの子はあの子であたしが大人びて見えるみたいでさ。いっつもあたしのことキラキラした目で『すごい』って言ってくれるんだよね。」

そう言って七海澪は私に初めて見る表情を見せた。暖かく、柔らかく、少し無邪気で、そしてどこまでもやさしい笑顔。

「だから劇をあの子に観てほしい。すごい、かっこいい、って言ってほしい。……笑っちゃうでしょ。」

欠けていたピースが嵌まった感覚があった。私が見落としていたものが今わかった。七海澪はただ妹に尊敬の目で見られ、褒められたいのだ。そんなかわいらしい動機だから躊躇なく人を頼るし、大げさに感謝もする。遅刻しかけたり宿題を忘れたりしたのも、妹さん絡みで何か突発的な対応があったのだろう……これはわざわざ本人には訊かないが。

そして何より、たとえ妹さんに見栄を張るための背伸びに違いなくとも、そこに行動が伴えばそれは研鑽であり、結果が積み重なればれっきとした成長なのだ。確かに「笑っちゃう」けれど、七海澪が尊敬に足る人物であることがはっきりとわかった。今までわからなくてモヤモヤしていた部分が、ひとつ残らず好ましく思える。

「ふふ。いいと思う。聞けてよかった。……いいよ、澪。全力でサポートする。」

私は即答した。私を駆り立てたのは、わからなかったことがわかった高揚だった。この時点では、まだ。七海澪は少し驚いた顔をする。そして。

「ありがとね、由里華。頼りにしてる。」

そう言って彼女が見せたのは、ふにゃっとした笑顔。私が「情けない」と評したあの笑顔。しかし今の私はその表情の奥にあるものを知っている。妹さんに良いカッコしたいという、笑っちゃうくらいかわいらしい野望。そこに私を必要としてくれているということ。今すべての色彩が揃ったその笑顔が眩く光り輝き、私の心に新たな色を焼き付けた。私は、澪のことが……

「……うん。楽しくなりそう。」

そう答える私の心臓は高鳴り、耳が、頬が、首から上が熱を帯びる。澪が、私を必要としてくれている。澪の信頼に応えたい。澪が輝く姿をいちばん近くで見ていたい。澪。澪。

「由里華、ちょっと顔赤くない?体調悪い?」
「大丈夫。陽にあたって、暖かくなっただけだから。」

自分で言ってて恥ずかしくなってきた。さて、これから大変だ。生徒会長選の応援演説を考えなければ。それから、今後は宿題をいつでも澪に見せられるように心の準備をしておこう。大変だが、楽しくなりそうだ。

澪はこの先どれだけのことを成し遂げるだろう。その果てに、澪はどんな表情を私に見せてくれるだろう。私は澪とどれくらいの距離まで近づくことができるだろう。これからも、測り続けていこう。


(「舞台の上へ」おわり)

七海澪視点 "where the sun rises"

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