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デニー

ずっと人生しくじり系の代表格だと思っていました。でも、今日の通勤時にNo Wordsを聴きながら、ポールの長い追悼文を読んで、実際はそうでもかったのかな、と思いました。

デニーの私的なテーマソングは、吉田拓郎さんの落陽。でも落陽のじいさんのような人生じゃきっとなかったんだろう。

とにかくかなしさでいっぱい。私からしたら、デニーはヒーローでありスターであったからね。


2006年1月に書いたことを読み直してみました。以下、抜粋と誤字脱字修正。RIP Denny, you gr8!!
 
来日までを振り返ってみると、まず突然、デニーが自身のサイトを立ち上げた。その直後くらいに、なんでもジャマイカと日本ツアーを企画しているという噂を聞く。ちょっとは心が揺れたかなぁ。それで、11月下旬、ベガスに住んでいるデニーがポールのバックステージに招待された話を聴いた。その現場にたまたま私の友人がいて、その時、デニーがWingspanのTシャツを着ていたという話も聴いた。その時の写真を友人からLAで頂いたら本当だった。私は、ポールは絶対にデニーの事を許さないと思っていた。
 
WingspanのDVDで、徹底的にデニーが無視されていたことに私はかなりがっかりしたのだが、その写真を見て、何だかほっとしたというか、嬉しかった。
 
なんだか写真を見て急にデニーに会いたくなった。ということで、アランパーソンズファンの先輩を誘って初日の初回ステージを観る事にした。それで、皆さんご存知のハプニングがあり、結局3回も観る羽目になってしまったのだ。
 
初日の暴走したデニー、土曜日2部の手堅いデニー、そして最終日2部の観客(おじさん達)が燃える、それを前にしてさらに燃えるデニー。恐れ入りました。もう、私は No Words For Your Showsです。
 
帰りのタクシーの中で気づいたこと、それは、ポールがデニーを許す、許さないは別として、デニーがポールに会いに行ったというのは、これも凄い勇気が必要じゃなかたのか(勝手な推測だが)。同じ栄光のステージに立っていたのにあんなに差がついている。大抵の人はくだらないプライドというものがあるものである。例えば出世が早い同期と昼飯時に顔をあわせたくないとか、会社を辞めてベンチャー立ち上げ
て上手くいかなくなった途端、友人に会いづらくなっちゃうとか。そんなプライドよりもずっと凄いプレッシャーというか、高い壁を乗り越えなければポールにベガスのMGMで会えなかったと思う。
 
デニーを観るまで、もう一度ポールと同じステージに立ってくれないかな、何か一緒にレコーディングしてくれないかなという夢を持っていたが、今はそんなこと、ちっとも思っていない(いや、ちょっとは思っている)。
 
正直、ポールと一緒にステージに立つような腕でももはやないし、何にもましてそんなプレッシャーをデニーに与えたら、それこそもう潰れちゃうよね。デニーの人生きっと壊れちゃう。もうこれでいいんだ、これでいいと勝手に思った。
 
デニーが今、どんな生活をしているのか知らないが、私はささやかなお礼として会社の昼休みに書いた手紙をスタッフに渡した。あとベガスで友人がとった写真も。その返事をショーの途中、スタッフが私のところに訪ねてきて、
 
「デニーはメッセージとても、感動していましたよ。」
 
と言った。
 
持ってきて下さった夢の旅人のシングル盤とベガスでの写真にはちゃんとサインが書いてあった。その直後、アンコールでデニーが登場。遠視メガネで私をちらっとみるとお辞儀をしてくれた。泣けた。


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