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2度目の正直で示した可能性

お久しぶりです。
最近ライターの仕事が忙しくて、書きたい事は沢山あったんですがかなりサボってました。
が、今日は久しぶりに更新したいと思います。

突然だが愛美というアーティストをご存知だろうか。

愛美とは、1991年12月25日生まれ(2022年10月現在で30歳)のブシロードの声優プロダクション「響」に在籍する女性声優である。
兵庫県出身でもともとは歌手を志望していた彼女は高校卒業後2010年に声優としてデビュー。
2011年から15年にかけてはポニーキャニオンで歌手活動もしていており、簡潔にいうと現代にごまんとありふれた「声優アイドル」の一人だった。

もともと音楽や芸能に疎く、特定の人物に強く関心を持つことが少ない自分だが、彼女に関しては色々と思う節があり、ここ数年間はわりと注目して活動を追っていた。
そんな愛美は2020年の年末に大手レコード会社のキングレコードに移籍し、6年ぶりに念願だった歌手活動を再開。
その第2期歌手活動の足掛かりとして、自身初のライブツアー「AIMI SOUND」が組まれ、先日10月22日に福岡でライブを開催している。
今日はその開幕公演である福岡公演に運良く(?)当選し、初めて愛美のステージを見てきたので、その時に感じた戯言を書き記したいと思う。

大前提として、自分は愛美に関してはかなりにわかな方だと最初に予防線を貼っておきたい。(声優オタクは本当に怖い)
にわか故に当然知識が浅く、ここで記す情報も大半が個人的に調べ上げて汲み取ってきたモノが殆どである。
だから再度繰り返すが、これはあくまでにわかの見解で書かれたテキトーな戯言だ。
それを重々承知の上、読んで少しでも彼女に興味を持っていただけたら幸いでございます。

愛美×きみコ

愛美ときみコ氏

まず最初に愛美を語る上で欠かせないのは、nano.RIPEのきみコ氏の存在だ。
愛美は2013年に「アイドルマスターミリオンライブ!」でジュリア役に抜擢され、以降この作品を皮切りに声優界隈に頭角を現していくこととなる。
アイドルマスターとは演者である声優たちのライブやイベントも頻繁に行われる、オタク界隈では知名度も人気も高い老舗コンテンツだ。
その「アイドルマスターミリオンライブ!」の1stライブで当時無名声優だった愛美は、声優離れした圧倒的な歌唱力とライブパフォーマンスで、見る者に衝撃を与えた。
愛美がその名を轟かせたライブで歌った楽曲を提供していたのが、現役ロックバンドとして活動していたnano.RIPEのきみコ氏だったのだ。


このライブで歌った「流星群」は愛美の原点であり至高だと今でも語り継がれるほど、衝撃的なステージだった。
きみコ氏が紡ぐ繊細で真っ直ぐな歌詞と力強さの中に脆さをも含む愛美の歌声の融合は多くの人の心を鷲掴みにし、自分もまたこの二人のコンビに惹かれ、沼にハマっていった人間である。
愛美に提供された楽曲は、「願った夢は何でも叶う」と言わんばかりの若さ溢れる勢いを鮮明に歌った「流星群」。
その夢を追う過程で現実と理想のギャップに悩み、葛藤する「プラリネ」。
そして失敗も挫折も自身が味わった全てを受け入れて新たな旅へと向かう「スタートリップ」。
加えて2021年に新たに加わった「アロー彗星」を含め、きみコ氏が提供した楽曲はこれまでに計4曲。
※アロー彗星は曲調が少し違うため都合良く割愛

きみコ氏から提供された曲はどれも「星」をイメージした曲調となっており、一つの物語とし「夢に向かう一人の若者」の歩みを辿っていく構成となっていた。
勢いだけでは叶わない夢、時にシビアな現実に自分を疑い、挫けそうになりつつも、それでも弱い自分を受け入れて少しでも夢に向かって歩もうとする。
その姿を表現するきみコ氏の歌詞と愛美の歌声は、海外でサッカー選手として活動していた自分に勇気を与え、時には挫けそうになる弱気な自分を奮い立たせてきた。

そして愛美ときみコ氏の歩みの続きが、2022年の7月にリリースされたアルバム、「AIMI SOUND」に収録された「スターリア」で描かれることとなる。
それも、これまでのジュリア名義ではなく、愛美名義で、だ。

皮肉にもスターリアがリリースされた時、自分はスロバキアで左膝半月板と両足の股関節唇を損傷し、絶望のどん底に沈んでいた。
コロナ禍で足止めを食らった後、2年ぶりに掴んだスロバキアでの契約直後に負った選手生命を脅かす大怪我で当然チームからも解雇、天国から地獄に突き落とされた自分はサッカーを引退。
この時はもうきみコ氏の楽曲を歌う愛美の声を聴いても、この困難に立ち向かう気力がまるで湧いてこないほどに追い詰められ、完全に心が折れ切ってしまっていた。
偶然にもその時期に、これまで何度も挫けそうな自分を引っ張ってくれた寺川愛美×きみコ氏の新曲がリリースされたのだ。
アルバムと同時に発表された、愛美自身初の全国ソロツアー。
その開幕公演が地元福岡で開催されると知った時、これもまた何かの導きではないのかと都合よく思わざるを得なかった。

普段は高いチケット代を払ってライブに行くほど音楽に熱心でもないし、声優業界に関しての興味もあまりない。
だけどこの時はそういった縁を感じたのと、不思議と愛美の歌を生で聴いてみたいなと思ったのだ。
それが今回愛美のライブに足を運んだ一つのキッカケである。

愛美の原動力

2016年に開催された水樹奈々の甲子園ライブ

既述したとおり、自分は音楽にも声優にも、特別興味があるわけではない。
これまでライブに通うほどハマったのも、せいぜい水樹奈々ほどだ。
その水樹奈々もライブに行ったのは6年ほど前の甲子園ライブで、それ以降は一度も足を運んでいない。そして今後も自ら足を運ぶことはないと思っている。
もちろん水樹奈々は今でも好きで、決して嫌いになったわけではない。
楽曲だって毎週ラジオだって聴いているし、今でも新曲が出れば必ずチェックもするほどに気にかけてはいる。
だけど以前ほどの情熱がなくなったのは、自分はもう水樹奈々のようにはなれない現実を知ってしまったからなのだ。

昔から本田圭佑や福田健二のような、どん底から這い上がってきた人間が大好きだった。
水樹奈々もまたそういった人種の一人で、とてつもない苦労人で計り知れない努力を積んで、そして夢を掴んだそのサクセスストーリーに自分は憧れ、焦がれていたのだ。
だけど最後に参加したライブ後に挑んだオーストラリアで、自分が思い描いていた夢が途方もない絵空事だと気付かされた。
そのことに気付いて、もう水樹奈々に自分の理想を重ねることをしなくなり、次第に熱も引いていったのだと思う。

そしてこれもまた不思議な話で、愛美も水樹奈々を尊敬し、憧れの眼差しを抱いていると度々公言していた。
水樹奈々と同じ事務所であるキングレコードに移籍する前から口にしているくらいだから、その言葉は本物なのだろう。
だが実際問題、“歌手・愛美”としての実力も実績も、水樹奈々と比較すると明確なまでの雲泥の差があり、後述するが彼女も自分のように「水樹奈々に憧れを抱きつつも彼女のようにはなれない人間」だったのだ。

そもそもの話、愛美は声優としても決して目立った存在ではない。
幾つかの有名作品に携わり、アイマスではジュリア役でブレイクし、女子高生のバンド活動を描いたアニメ、バンドリ!では主役のボーカル役まで貰って、ソロではないといえ武道館や埼玉スーパーアリーナのステージも踏んできた。
声優としてデビューする前も、アマチュアの音楽イベントで何度も賞を受賞している実績を見ても、その実力に決して嘘偽りはなかったはずだ。
ビジュアルだって良いし歌も上手い、ギターだって弾けて、ブレイクするチャンスも過去に何度々巡ってきてはいた。
だがそのポテンシャルもチャンスも生かせず、こうして長年にわたって愛美は燻り続けている。
本人が希望していた歌手活動も、ポニーキャニオン時代は結局鳴かず飛ばずのアーティストとして軌道に乗らず、半ばフェードアウトのような形で活動休止。
サッカーで例えるなら、一度はJリーグ入りするも思うように成長できず、気が付けばJFLや地域リーグ、海外の無名リーグに飛ばされて忘れ去られてしまう選手と同等のレベルなのだ。

その愛美が30歳を迎えた今、6年ぶりに歌手活動を再開させ、決して大きくはないキャパシティだが、全国4ヶ所を回る自身初のツアーライブに挑む。
その心境はいかがなものなのだろうか。
一度挑戦した歌手活動では上手くもいかず、幾度となく声優業で巡ってきたチャンスも生かせず、それでも歌手活動にしがみ付こうとする愛美の原動力は何なのだろうか。

それを知りたいと純粋に思ったのが、二つ目のキッカケだった。
そして探し求めていた答えは、開幕公演の1曲目で披露されたスターリアと共にすぐに知ることができた。

理想と自分のフィールド

ももちパレス大ホール

今回福岡公演がおこなわれた会場は「ももちパレス、大ホール」。
マリンメッセでも国際会議場でもなく、「ももちパレス、大ホール」だ。
「ももちパレス、大ホール」のキャパはMAX800人で、お世辞にも大きい会場とはいえないどころか、むしろかなり小規模な会場だとも言える。
そしてチケットは当日券も直前まで販売されていたものの、会場内には残念ながら多くの空席が目立った。
ざっと見、800人のキャパで600〜650ほどしか埋まっておらず、コロナ禍と地方公演という悪条件を差し引いても、自身初のソロツアーの開幕公演としては随分と寂しい光景である。
これが、歌手としての愛美の現状なのだ。
アーティストとしてツアーの開幕公演を800人のキャパの会場でおこなうことも、そしてその会場ですら空席が目立つ現実は、厳しいことを言うとアーティストとしての愛美の世間への需要がそれほど高くないことを物語ってしまっていた。

だが、いざ開演すると驚かされた。
その小さな会場のステージに立つ愛美は、OPからラストまで終始心底楽しそうに歌っており、前情報で知っていた彼女のネガティブな側面は全く感じられなかったのだ。
時に歌詞やフリを間違え、MCでは言葉に詰まり、困ったように苦笑いの表情を公演中何度も浮かべたが、それでもこの日見た愛美の表情は無邪気に音楽を楽しみ、そして自身を自分なりに音楽で表現しようとする姿だった。

その姿を見て、愛美の中は数字とか売り上げとか、そういったアーティストとしての競争社会の中とはかけ離れた世界で生きているのだと察した。
いや、離れたという言い方ではなく、新たな自分のフィールドを見つけたという表現の方が適切なのかもしれない。

公演中のMCでも語られていたが、愛美は自我ともに認める超絶ネガティヴな性格で、憧れである水樹奈々のようなスーパーポジティブの人間とは対極の位置で生きる人間だ。
どうしても昔は世間の評価やアーティストとしての自分の価値が気になってエゴサをしては辛辣な言葉を見て気を病み、度々イベント中に自身の不甲斐なさから突然泣き出してしまったりと、アーティストとしてはかなり不安定でその問題を指摘する声も多かったと聴く。
おまけに幾度となく巡ってきたチャンスを何一つ生かしきれず、待望だった第1期歌手活動も軌道に乗らずに自然消滅してしまうなど、本人も思うように事が進まないアーティスト活動に相当精神的に参っている節もあったのだろう。
その当時の愛美を自分は詳しくは知らない。
だが、各方面での評判を調べるとこのような中途半端な評価が上がってくるあたり、概ね間違いではないのだと思う。
おまけに各所で「愛美はメンヘラ」と称されているくらいなのだから、過去の彼女は本当に不安定そのものだったのだろう。

だが30代に到達した今、6年ぶりに歌手活動を再開させた愛美にそういった不安定さは何も感じられなかった。
それどころか、MCでは過去の情緒不安定だった自分をダシにした自虐ネタを披露する余裕まで見せるほどだ。
自分のミスも、会場の空席も、そして過去の不安定だった自分さえも、全てを前向きに捉えて音楽に向き合う愛美の笑顔に、彼女がかつて抱えていたはずのネガティヴな一面は微塵も影を見せなかった。

それがどういった経緯でそうなったのか、もしくは上手く隠し通しているだけなのか、それは一ファンである自分には知る由はない。
だけど一つだけ自信を持って言えるのは、福岡公園で魅せた愛美の姿は、清々しいまでに潔く、そして晴れやかな姿だったということだけだ。
その姿を見て、アーティストとしての売れ行きや市場価値に対する拘りが以前ほどなくなったのではないかと思う。
競争社会、業界の評価、そういったしがらみを全て払いのけたかのように、ただただ純粋に音楽を楽しむ愛美の姿がとても、とても印象的だった。

夢への可能性

夢は武道館ソロライブ、だそうです

愛美の楽しそうな姿を見た!という話の後にするにはかなり無粋な話ではあるが、愛美の歌手としての伸び代はそこまで残されているわけではない。あくまで素人目の感想ではあるが。
彼女が憧れている水樹奈々は、愛美と同じ30歳の時には既にソロで大阪城ホールや埼玉スーパーアリーナを埋め尽くすほどのレベルに達しており、歳の近い声優アイドルの水瀬いのりや上坂すみれのソロライブと比べても、彼女のライブの規模のスケールダウン感は否めない。
水樹奈々を頂点に、第2の水樹奈々を目指すアイドル声優たちに対し、現時点で800人のキャパを埋めれない愛美に、数段階のレベルの差を感じてしまうのは当然のことだ。
ちなみに600〜650人は世界は違えど自分が過去にプレーした海外のクラブのホームゲームに訪れるサポーターの数と同規模の人数である。
これまでの愛美の実績とデビュー時の期待値を踏まえると、もっと集客できてもおかしくはないと思うものの、悲しい哉これが今の彼女の立ち位置なのだ。
※声優の分母を考えるとこれでも十分すごいんだけど

そして声優業界では化け物だと称される水樹奈々でさえも、アーティスト界隈では特別抜きん出た存在ではなく、彼女以上のアーティストはこの世にごまんと存在している。
歌手としての愛美の最終目的地が何処なのかは不明だが、現状を踏まえると今後そういったトップオブザトップのレベルに達するのはあまり現実的な話ではないのかもしれない。
それはかつて水樹奈々にハマり、何度もライブに足を運んだ自分が今回愛美のライブを訪れて真っ先に思った感想だった。

だけど、その感想と同時に愛美には愛美の、愛美だけにしか作れない世界があることも感じさせられたライブだった。
何度巡ってきたチャンスもモノにすることはできず、念願だった歌手活動もうまく行かず、愛美は燻ったまま30歳になった。
毎年のようにかつての愛美のような将来を嘱望される若い声優アイドルが出てきては、ポスト水樹奈々を目指して凌ぎを削りあっている世界で、30歳はもう決して若い歳ではない。
近年声優がマルチアイドルと化され、故にどうしても若さがアドバンテージを持つこの戦場で、何度もチャンスをもらってきてブレイクしきれなかった愛美に、今後多くのチャンスが残されているとは考えにくい。
だが、その劣勢の状況下でも愛美は人生2度目の歌手活動へと舵を切った。
コロナ禍で音楽業界が深刻なダメージを受けているこの時期のに、だ。

6年ぶりに歌手活動を再開すると知った時、個人的には嬉しい反面だいぶ勝算がない賭けに出たなと、愛美の行く末を案じたことを覚えている。
だけどキングレコード移籍後、最初にリリースされたシングル「ReSTARTING!!」を聴いて、その後発売されたアルバム「AIMI SOUND」を聴き、そしてライブに足を運んで愛美が2度目の歌手活動に見出した勝機を少しばかり垣間見た気がした。

おそらくもう、愛美は水樹奈々のようにはなれないと知り、その現実を受け入れたのだろう。
悪くいえばそれは諦めなのかもしれないが、良く言えば誰かに自分を重ねることなく、自分が自分らしく表現できるフィールドを見つけた、ともいえるのかもしれない。
いや、福岡公演を見る限りでは、諦めなどというネガティヴなものではなく、後者のような前向きな境地に達したのだと思う。
繰り返しにはなるが、愛美にはこれまで何度もブレイクするチャンスがあったものの、それらを掴み取ることができなかった。
もし何か一つでもチャンスを掴めていたら30歳の愛美は今よりもっと大きなステージでライブをしていたのかもしれない。
何度も訪れたチャンスをモノにできなかった彼女に、今後何かを成し遂げることはできるのか。
2度目の歌手活動に挑戦する愛美にそんな懐古的な想いを寄せる人もいるに違いない。
だがそういった経験をした今だからこそ、昔とは違う、自分らしさを存分に表現した音楽を生み出す術を覚えたのかもしれないと思う。
愛美は自分に与えられたフィールドで自分にしか表現できないパフォーマンスをして魅せた。
劣等感のカケラもなく、世間の評価や数字に縛られず、誰よりも楽しそうに、純粋に、音楽に没頭する愛美の姿を見て、そんなことをふと感じさせられた。
そして、足枷が外れて自分に最適なフィールドを見つけた人間は、時にとてつもない力を発揮することがある。
水樹奈々のようなアーティストになれる可能性は低いと書いたが、2度目の歌手活動である意味本当のスタート地点に立った今の愛美なら、もしかしたら全く別のルートで夢であった武道館ソロライブへの道を辿っていくことも決して絵空事ではないのかもしれない。
それはそれで茨の道になるのは間違いないのだろうけど、今後何か大きなコトを成し遂げそうな期待感を抱かせるほど、素人ながらもこの日の愛美からは青天井の可能性を大いに感じたのだ。

とは言っても愛美のパフォーマンスは、やはり彼女が憧れだと称する水樹奈々のと比べるだいぶ不安定で、危なっかしいものがあった。
だけどライブが終わった後の余韻、そしてライブの翌日の朝、起きて身体中をみなぎった不思議なパワーは、水樹奈々のライブに通っていた当時を彷彿とさせる感覚だった。
レベルやステージの差はあれど、福岡公演に参加した翌日から愛美は自分の中で水樹奈々と同等のアイドル声優になったのだ。

あとがき

※スターリアはある意味愛美の再出発を歌った曲なのかもしれない。

ドイツで初めてお金をもらえる契約をした時に感じた無限の可能性。
オーストラリアで痛感した追い求めていた夢までの途方もない距離。
そしてポーランドで完全な挫折を味わい自分の夢が実現不可だと思い知らされたけど、そこで見つけた新たな夢。
単なる偶然なのだろうけど、愛美×きみコ氏の楽曲が他人事ではない気がして、自分は心底愛美の楽曲に共感し、そして惚れ込んでいった。

スロバキアがゴールではなく、その次が、その更に先には可能性は僅かだったけど挑戦したい世界、どうしても掴みたい夢があった。
だけど手術なしではサッカーができないほどの怪我をしてしまい、その夢は実現不可な夢になってしまった。
そんな精神状態だったからこそ、「スターリア」のスタートリップで終わらなかった旅を続ける歌詞が胸に刺さり、心の琴線を激しく揺らしたのかもしれない。
大怪我もして年齢も重ねて、もう幼少期から自分が思い描いていた夢の殆どは手の届かないモノになってしまった。
だけど沢山の人の支えがあって、例え小さい頃から掲げていた夢の殆どは叶わなかったとしても、それでもサッカーの世界にしがみ付いて、自分にしかできないこと、自分にしか見えない世界を見たいと強く思えるようになった。
そして今、W杯もCLもJリーグ逆輸入も、そしてスロバキアの後に思い描いてたヨーロッパ1部リーグ挑戦も、殆どの夢を掴み損ねた自分はサッカー選手としてピッチに戻る勇気を持ち、手術を受けてリハビリに励んでいる。

リハビリはシンドイし、今後の将来に対する不安はあるが、それでも今聴く「スターリア」はすごく自分を前向きにさせてくれる曲だ。
完全な後付けと偶然ではあるが、大怪我をしたタイミングで「スターリア」がリリースされたこと、これは間違いなく何かの縁だと勝手に感じている。

ここまで偉そうに長々と書き記してきたが、冒頭で述べたとおり自分は愛美に関しては完全なにわかな人間だ。
愛美×きみコ氏の楽曲以外殆ど把握しておらず、実はライブで恥ずかしながら未修の曲も幾つかあった。
だけど愛美の楽曲からこれまで幾度となく勇気をもらい、そして人生最大の大怪我でサッカーを諦めた時に聴いた「スターリア」に、心を揺さぶられたのは紛れもない事実である。

愛美に自分を投影しているわけではない。
ましてや自分が愛美と似ているなどという、烏滸がましいことを言いたいわけでもない。
底辺サッカー選手の自分が、偉そうに彼女について書き記していることが失礼だとは重々承知である。
だけどほんの少しだけ彼女の味わった苦悩と挫折と、そして福岡公演で見せた彼女の覚悟に共感し、今後も微力ながら応援したいと思ったのでこのnoteを書く事にした。

継続してライブに参加したり、それこそ大金叩いてグッズを購入することなどはできないけれど、今後の彼女の活躍を密かに見守っていきたいと思う。
新たなリスタートを切った第二の歌手活動が本人にとって充実した時間になり、かつて届かなかった夢に少しでも近づく挑戦になることを心の底から祈っています。
本当に素敵な時間をありがとうございました。
ちなみに愛美ときみコ氏のデュエットだが、スピカという曲もいいぞ。

次回は「這い上がる」をコンセプトに挑んだJ2シーズンで、世紀の大失速をおこし不名誉な残留を成し遂げてしまった22年シーズンのベガルタ仙台について書き記したいと思います。


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