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ネタバレミッドサマー(きさらぎミッドサマーのネタバレだよ!)

こちらの記事は、座・シトラス アナザー公演vol.012『きさらぎミッドサマー』のネタバレ解説です。お読みになる前に是非本編をご覧ください。
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 うだるような暑さと叫ぶような大雨の中で、『きさらぎミッドサマー』は終演した。
 感情の大渦が舞台も客席も駆け巡った。カーテンコールを終えて私が楽屋に戻ると、上気した顔の出演者が迎えてくれた。
 作品の感想はお客様に委ねるとして、私が一番好きな作品であることは間違いない。願いが叶うならば、出演者にもRietにも、代表作になって欲しい。それが『きさらぎミッドサマー』だった。

 この作品はリアルタイムサイコロジカルホラーである。都市伝説の『きさらぎ駅』や映画『ミッドサマー』に影響を受けながら、それらを横目に終電で乗り過ごしたかのような作品になっている。元々私は都市伝説の『きさらぎ駅』について、「もう中盤からきさらぎ駅関係ねぇじゃん!」と思っていたクチである。だからこそ私なりの『きさらぎ駅』の回答を身勝手に殴り書いたフシはある。丹念に遠州鉄道とその地名を調べ、奥鹿島(おくかじま)という架空の場所に、あの全王(ぜんおう)大学の5人の学生を送り込んだ。『きさらぎ駅』って生者の世界と死者の世界の間に存在して欲しいじゃないですか。劇中では此岸(しがん)と彼岸(ひがん)という言葉を使った。

 夏の夜の伽藍の空が、真冬と同じになる時がある。その時、此岸と彼岸は曖昧になる。その曖昧さの中に、きさらぎ駅は存在する。

 上記の幾度となく本編に登場する詩篇は、大槻ケンヂのUNDERGROUND SEARCHLIE『Guru』における
「春の夜の人のいない伽藍の底に
 シンメトリに双子の少女がいて
 遊びとはいえない 殺し合いのような
 キャッチボールをしている」
という歌詞から発想したものである。
 きさらぎ駅は曖昧なものであり、でも結局人間って曖昧なままに結論を出さず苦しみとか悲しみとかの中で生きてるよね、って思いながら作った話であり、急に「幸せって何ですか?」って聞かれても選べねぇよってなるもんですよ。
 ちなみに「究極の質問、目が覚めてどんな世界だったら幸せ?」というのは、アメコミドラマ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』に出てくる文言で、私が大好きなフレーバーの1つです。
 折角なのでミッドサマー(真夏)が如月(2月)になってもらった中で、殺し合いのような軽いゲームをしてもらって、曖昧さの決断をしてもらいましょうという、GMからの提案の物語でした。

 『きさらぎミッドサマー』におけるキャラクター造形は、綿密な取材というていで周囲の人間模様から着想を得て作り上げたものである。他の多くのRiet作品と違って、こんなもの当て書きだったら失礼だろ! って感じである。だからこそキャスティングにはかなり悩んだ。ギャルゲーの主人公は「もしかして没個性でヒロインがいなけりゃ何もできないけど誰を選ぶのかはお前だよみたいなところあるよね」とモブ主人公の心中をお察ししながら書き上げた安野伸仕(あんのしんじ)は羽田洋に相当な負担をお願いして完成したし、田沼ジョージの普段のカッコよさをそのままクズに落とし込んだ場當明晴(ばとうあきはる)、橋本我矛威がコメディ・リリーフだけでなくシリアスもイケることを知っているので信楽福礼(しがらきふくのり)、『ミッドサマー』なのに江島志穂を呼ばないことはあり得ないし地獄を演じるだけじゃなくてかわいくて人気出そうな女性もできるじゃんと柁奈滋漓窪(だなじりあ)、インプロで絶対いないような前に出ないタイプのキャラの蝦村弘彌(えむらひろみ)にはいつも元気な石巻遥菜の陰の魅力を出してもらいたくて配役。結果として偽善のない人間ドラマになったんじゃないかとほくそ笑んでいます。脚本や作者の想定を超えた奇跡を生み出してくれるのが役者です。これが台本芝居じゃなくてインプロでやる意義なのかもしれないなぁと。90分公演が110分公演になったのは、見通しの悪い私のミスです。ごめんなさい。

 さて今回の最大のネタバレ。GMが実はNPCで大ボスだった件について。サブカルでおなじみのニャルラトホテプを韮浦布袋(にらうらほてい)にしておりますが、正直この名前を思いついた時点で作品が完成したと思っていました。しかも演劇のお約束(その役を演じている時はその役として役者を見る)を守らせたまま、ラストで「あれ全部俺だったんすよ」と観客をだますためだけに作られたトリックで「『きさらぎミッドサマー』って全部韮浦が大いなる暇つぶしで仕組んだ物語なんだね」と無理矢理納得させるプロットになっている。ミステリの"私"が犯人のような1回しか使えない演劇的叙述トリックです。ちゃんと公演開始時に、「不詳GMです」ってNJとも言ってないし自己紹介もしていないのです。ここは私のミステリ作家としての矜持です。そこまで理解して観てくれたお客様がいたとしたら光栄ですがこの辺りは自己満足です。「ニャル様はそんなことしない」という声もあるかとは思いますが、「日本では韮浦布袋と呼ばれています」と言っただけなのでニャルラトホテプかどうかも怪しい。

 本家『ミッドサマー』では、超常現象はひとつも起きていないのにホラーでした。その精神を受け継ぎたく、やはり『きさらぎミッドサマー』では人が人の幸せを選択したり不幸を選んだりするのは、人によるものにしたかった。その結果、デスゲームにありがちな単純なルールで"ざわざわ"するゲームを作る必要があった。何がいいかな、誰でもすぐルールがわかって負ける人が1人になるゲーム。そこでババ抜きでした。しかも何を持っているか言ってもいいし、何なら人の手札を見てもいいし、本編通りカードを破って捨ててもいい。この辺りはリアルタイムで諸々裁定をするので、「カイジかよ」って感じのひりつくデスゲームができたのではないでしょうか。

 NJワールドとして、でもそれでいて役者の力でとんでもなく最高に爽快な鬱屈した物語となった『きさらぎミッドサマー』
 もっとたくさんの人に見てもらいたいので、皆様も、お友達を誘ってあの電車にお乗りなさい。GMとの約束ですよ。

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