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ときめく

どんなときにぼくはときめき、ワクワクするのだろうか?

そしてそれを今後の生きる道標にすることができるのか。

実はそんなことしっかり考えたことはない。

この瞬間に出会った何かと、自分との化学反応によって、新たな何かが誕生するということに気づいてから、とりあえず今はこの瞬間をコツコツ生きていくしかないと思い、生きたから。

でも少し違和感・・・

その化学反応というのは、受け身の状態じゃ起こらないのではないか?と考え始めたのだ。

一度考え出すと、止まらなくなる性分なゆえ、また気にし出す。

自分がときめくために、ある程度アンテナを張って、気を張って生きていかなければならない。

いろんなものに興味を持てるように、街ゆく人々の一挙手一投足に注目してみたりしたほうがいいのかもしれない。

これが好き!という明確なものがないから、引っかかるものすらどこにあるのか?はたまた引っかかっているのかどうかもわからないというような状態に陥ってしまいそう。

根底にあるものに気づく必要がある。

本当に心の底から思えるようなものに、気づかなければならない。

意外とみんな自分の心の声を無視している。

「本当はもっと子どもとか家族との時間を大切にしたい」とか
「安月給で激務で大変、自分の時間が欲しい」とか、ね。

それは結局自分が何を求めているのかが、掴みきれていないからなのか?とか。

全て破壊して仕舞えばいい。

そんなものは全て、あるようでないのだから。

だが、それを全て破壊してしまうためには、ときめくものというものを理解しなければならない。

でないとブレてしまうから。

ブレてしまって、不安が心に残ってしまっていると、視界が徐々に狭くなってしまう。

何が好きで、何が自分らしさなのか。

元に戻ることができるものがないと、形を整えるものがないと、やはり難しい。

そんなことを語っているけど、僕は結局なにも定まっていない、軸ブレブレの中途半端な人間。

だから憧れがあるのかもしれない、そしてそんな状況に危機感を抱いているというのもまた事実。

さて、僕たちは何に対して「ときめく」のだろうか?

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