思考の整理~アニメ虹ヶ咲第4話+余談

 次は4話についてです。宮下愛の個人回という扱いですが、個人的には単なる個人回としての役割にとどまらず、アニメ虹ヶ咲の今後の展開を決定的に規定する中核になる話だと考えています。それについてぼちぼち書いていこうかなと。この話はちゃんと真面目に記事を書きます。

【4話の主軸:「スクールアイドル同好会」のソロ活動志向が確定的に】

 まずは愛さんの問題から。

1.愛の問題―「正解がある問題の解決はできる→自分で正解を作らないといけない問題にはどうすればいいかわからない」

 なんでもできる万能キャラとして有名な愛。勉強もスポーツもそつがなくこなすのは、それらがすべて「テストでいい成績を取る」「シュートして点を入れる」など「正解となる振舞い」があるからに他ならない。自分がこの状況・場面でどう振る舞えばいいか予め分かっているから、それに応じた振る舞いをすることができる(それだけでも化け物だが)。

  他方4話で焦点となった「ソロアイドルとしてのスクールアイドル活動」は、各々が自分の思うアイドル像を自分でアピールしないといけないので、どう振る舞えばいいか全く分からない状態になる。「楽しかったらいい」という漠然とした欲求しかないので、その欲求とソロアイドル活動をどう結びつければいいか(当然正解なんてないので)分からない、というのが愛の直面した問題。

 その結果、橋上でのエマとの会話を通して、自分が同好会に入ってみんなの笑顔が増えたという事実を知り、「自分が楽しいっていう感情を思いっきり表現すればいいんだ」と吹っ切れ、終盤の「サイコーハート」(4話挿入歌)に至った。

 この展開は本当に見事だと思う。「愛がどんな悩みを持つのか想像つかなかった」という趣旨のことを声優の村上奈津美さんが仰っていたが、私も概ね同じ感覚だった。そうした中で、「愛がなんでもできる万能人間」ということと、「愛がアイドル活動を通して標榜したい強烈な自己性というものがない」(これは私も考えていた)ことを一体的に理解した末の問題設定だったので、ものすごく違和感なく、自然な愛さんの人間像が浮かび上がったといえる。個人的に単一個人回の話としても限りなく上位にくる話である。

2.全体の展開―「ソロアイドル活動」という虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の根底部分が規定される

 先述した通り、ソロアイドル活動という軸が定まったのも4話である。前回でかすみが「自分とは全く価値観の異なる人がいることが大事だ」という問題提起したことを受け(3B)、せつ菜はかすみを呼び出し、「個々人の価値観が干渉しあわず自己実現が可能となる方策として」ソロアイドル活動に切り替えることを打診する(4A)。

 「一人でライブをしないといけない」ことへの不安から当然反応は芳しくなく、「現有メンバーによるチームとしてライブに挑む」ことを前提としていた節があった(3B)しずくのような考えの子もいる。

 そうした状況のなかで、同好会の皆が愛の披露する「サイコーハート」を見たことで、「負けていられない」などとやる気や闘志を高め、ソロアイドル活動に切り替えることへ一歩踏み出したのだ。「一人でライブをする、自分なりの表現をしないといけない」という様々な不安を、愛のライブを見たことで「自分もこんなライブをしてみたい」という前向きな気持ちで解消した、というような構図になったと個人的には理解している。

 自分なりに問題を解決し、吹っ切れた愛の単独ライブを見ることで、他の同好会メンバーもソロ活動への意思を固めた。以降はソロ活動を前提に話が進むので、4話こそがアニメの中における虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の「軸」を最終的に形成する話だといえるのだ。

(これで4話についての記事は終わりだが、4話のみならず虹ヶ咲全体に言えることとしての個人的な所感を「余談」として付け加えている。個人的に「余談」以下が一番言いたいことという説も)

∞.余談―虹ヶ咲アニメ制作陣の危険な賭け

 以上のように極めて完成度の高い4話だったが、一点(私は全く全体の面白さに何ら影響しないと考えているが)制作陣が行った危険な賭けと言える点がある。それは、「出所不明の歌をアニメの根幹を規定する源泉として扱った」ことだ。

 ご存じの通り、4話までの作中の挿入歌は「現実になされたのか、完全に架空の領域(固有結界)でなされたのか」意図的に曖昧にした(というよりほぼ架空の表現として)演出がなされている(1話「Dream with You」、2話「Poppin' Up!」)。3話「DIVE!」は一応現実で行われたライブとされ、演者がずっと前からスクールアイドルのせつ菜だったということもあり、現実にせつ菜個人が持っていた曲という解釈ができなくもないが、4話「サイコーハート」に関しては(愛は同好会に入ってすぐなため)現実に愛個人が持っていた曲と解釈することはほぼ不可能だ。つまり、立ち位置としては1話と2話に近い。

 1話&2話と4話とが決定的に違うのは、「Dream with You」「Poppin' Up!」は歩夢ないしかすみが自分の問題を解決した後の曲として専ら披露され、その曲を元にした新たな文脈や展開は一切生じていない(=その曲がなくても話の本筋に影響しない)のに対し、「サイコーハート」は愛が自分の問題を解決した曲として披露されたばかりか、その曲を元に「同好会がソロ活動への意思を決める」という展開が発生し、あろうことかその展開がアニメ全体の軸となる究極的根幹である(=その曲がないと話の本筋が崩壊する)という点だ。だからこそ、本アニメは「出所不明の歌をアニメの根幹を規定する源泉として扱った」といえるのである。

 冷静に考えれば、「ラブライブ!」シリーズのアニメにおいて、アニメ全体の展開の主軸となる展開が、架空なのか現実で起こったのかよくわからない曲を原因として生じたというのは前代未聞である。にも拘らずこのことに対する批判が現時点で全く存在しないことと、このことがアニメの面白さに何ら影響していないことを考えると、ライブ曲の出処というアイドル物では一丁目一番地にリアリティあるものにしないといけないものを敢えて放棄し、登場人物の人間像や感情変化に全振りしたうえで面白い展開のアニメをつくり出した田中仁氏以下虹ヶ咲アニメ制作陣はとてつもない賭けをしたと思うし(メインの人物描写如何では自分たちが放棄した楽曲の出処に批判が集まり、作品全体の評価が損なわれる危険がある)、かつその手腕が見事であるというしかない。「アニメに何が一番求められているのか」というファンの潜在的な要請をある意味最も的確にくみ取れたのではないだろうか。

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