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見られる用文化のはざまで④ーAマッソ(前編)

はい。今回のテーマ、Aマッソです。前回までの連載からいきなり話がぶっ飛びますが、私が今大好きな女性お笑いコンビです。

単純に大好きというのもあるのですが、すごくこの人たちについて、ジェンダーの観点から語りたいことがふつふつと湧き上がっています。
そもそもお笑いの世界とは、「女性は見られる用であるべき」とする「見られる用文化」と、とても複雑な関係にある世界だと思います。

さておき、まずはAマッソのお2人を紹介します。

加納愛子さん(主にツッコミ担当)
同志社大中退の秀才で、ネタ制作担当。ボキャブラリーの豊富さを生かし、シュールから正統派、Wボケネタや緻密なコントも書ける、なおかつトークも切れる頭脳派。
オラついた関西弁で悪態をつくツッコミが怖れられがちだけれど、後輩に慕われる優しい一面も。

▼こちらは超仲良しの後輩芸人フワちゃんのYouTubeで悪態をつきまくる加納さん


村上愛さん(主にボケ担当)
一見ただのハッピーアホキャラのようで、本気かネタか読めない宇宙的ボケで人々を混乱に陥れる。悪態のセンスに富む加納さんに対し、ファンタジーなワードセンスを発揮。

▼4:42〜の一人古今東西からの流れ、特に「架空なモノしりとり」で天才ぶりが顕に。

続編の動画でも飲酒、泥酔状態で「ペガサスには気をつけろ」「2個同じ物があって割った途端全部パピコ」などの名言を連発。本当に天然なのか計算なのか…

そんな2人のネタがこちら。

若手実力派として高い評価を得ると同時に、「尖ってる」などと、ほかの芸人からもストイックな印象を持たれているAマッソ。
ネタだけ見ててもかなり面白いと思いましたが、詳しく知れば知るほど、頭脳派の天才とミラクル系の天才が手を組んだ、稀代の天才コンビなのではないか…と思えてきました。 

「女芸人らしからぬ」

お気づきかと思われますが、非常にボーイッシュで飾り気のない出で立ちのお2人です。とはいえ2人とも可愛らしい雰囲気もあり、男っぽいというよりは少年のような中性的な感じ。
また、芸風も先輩の男性芸人らから、「女らしさを武器にしない珍しいタイプの女芸人」「完全に男の芸人がやるネタ、男を笑わせにきてる」などと評されることもあります。

これらの評価はいずれも褒め言葉として言われたことですが、どこか私は引っかかるものがありました。

たしかにAマッソのネタには女性芸人として特異さを感じられますが、はたして「女らしさを武器にしている女芸人」というのは誰のことだろうか。それは「武器にしている」というより、「【女であること】をまず笑いにしなければ、女芸人が笑いを取るのは難しい」という状態なのではないか?と。

成功して有名になった女性芸人で、どれほど既存のジェンダー規範から自由に見える人でも、思い浮かべてみるとほとんどの人が、「女であること」と無関係なお笑いはなかなか出来ていないかもしれません。

ピンクカラー・ジョブという言葉があって、「女性の仕事」とされやすい仕事をこう呼びます。
たとえば介護などのケアワーク、サービス業、美容関連、ファッション関連、人文系の職業などが当てはまります。

芸能の仕事も「見られる仕事」という面ではピンクカラーに分類されることもありますが、その中でお笑いは、圧倒的に男性多数の独特な世界です。
そのお笑い界において、もしかして「女芸人」は、男の芸人とは違う種類の仕事、ピンクカラー・ジョブであることを求められてきたのではないでしょうか。

女が笑いを取ろうとする時、容姿やエイジズム、ファッション、恋愛などの「女の領域」とされているもので笑わせなければならないという、暗黙のうちのピンクカラーが存在しているのでは。

やっぱりお笑いの世界にあっても女性は「見られる用」の存在であり、「見られる用」としての自分の価値を卑下するか、もしくは「見られる用」である自分を極端に強調してポジティブにアピールするか、何らかの「見られる用」アプローチをしなければ笑いを取りに行けない。
お笑い芸人の仕事は、女として見られることよりも笑わせることなのに、女として見られている事実から笑いをスタートさせなければならない。
そんな現実が存在するのではないでしょうか。

そんな中、Aマッソのネタのほとんどは、容姿やエイジズム、ファッション、恋愛などの「女の領域」とされているものと一切関係しません。
まさに「男芸人のやるネタ」(括弧付き必須です)。
彼女たちはそれを、ニュートラルな少年の雰囲気をまとい、ネタそのものの完成度をひたすら磨くことによってなし得ているのだと思います。

(後編へつづく)


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