理系大学院を中退し、国家公務員になります
大学院を中退し、来年度から公務員として働くことにしました。
当時の自分を振り返るためのメモ書きです。
自己紹介
私は2015年に都内大学の工学部に進学し、主に機械や情報系の分野を学んでいました。また2019年に同大学の大学院に進学し、B4(学部4年)とは別の研究室に配属されました。
就活としては2018年9月から省庁のインターン等に参加し始めました。また2019年4月から国家公務員試験の勉強を始め、4月及び5月に行われる筆記試験を合格した後、6~7月にある官庁訪問でとある省庁から内定をいただきました。
2020年3月に大学院を中退予定です。
経緯
B4で大卒就職するのではなく、M1(修士1年)で中退することにした経緯を紹介します。
そもそも私が自分の将来を明確に意識し始めたのはB4の夏、院試勉強を始めたあたりの頃でした。当時はいわゆる理系院生の既定路線を歩みどこかのメーカーのエンジニアになるんだろうなあと漠然と考えていたのですが、院試からの現実逃避で就活サイトを読んでいくうちに、自分の適性ややりたいこと等を意識して考えるようになりました。院試が終わった頃には理系の専門を生かしつつ誰かの役に立てるという点で国家公務員の技術系総合職、いわゆる技官を志すようになりました。
秋からは省庁のインターンに参加したり、既に省庁から内定をもらっていた先輩にアドバイスをいただいたりと積極的に活動していけるようになりました。国家公務員になるには大卒以上の学歴が必要です。最終学歴や試験の受験区分によって多少の給与の違いはあるものの、M1の時に大卒区分の筆記試験に合格すれば、官庁訪問と呼ばれる内定を決めるための面接試験をM1とM2で2回受けるチャンスが与えられます。M1で筆記試験に合格しておき、M2で民間企業と併願で就活するのが一般的なのですが、私はせっかく与えれた2回のチャンスのうちのひとつを無駄にしてしまうのはもったいないと考えたため、M1で官庁訪問を行い、そこで内定を貰えれば中退、内定を貰えなければM2で公務員と民間企業の併願で就活をしようと(研究室の方々には内緒で)考えていました。
冬になると、卒論研究が思うようにいかないことへの焦り・研究室が変わることへの漠然とした不安・そして何よりも同期とは別の道を歩むという孤独を抱え込み精神的にかなりやられていましたが、家族や友達、先輩と話すことで何とか乗り切っていました。みんな就活を応援してくれたので心強かったです。
M1になり新しい研究室に配属され新たな生活をスタートさせると共に、国家公務員試験に向けて対策を始めました。筆記試験は4月末に1次のマーク、5月末に2次の記述があり、新たな研究室に慣れつつ試験対策を行うのは大変でしたが何とか合格することができました。他の人たちが半年以上かけて試験勉強をするのに対して、私は院試勉強の貯金+たった1ヶ月の試験対策で臨んだので席次はめちゃくちゃ低かったです。
筆記試験の合格発表翌日から官庁訪問が始まるので、6月に入ってからは研究と同時並行で面接対策をすることになりました。官庁訪問では学歴や筆記試験の席次はほとんど関係ない(と言われている)ので真剣に面接対策をするべきだったのですが、研究と就活の両立は精神的に負担が大きく、大学のキャリアサポート室に2回通った以外は何もしませんでした。自分が苦労したことやそれをどう解決したか、またその経験から何が得られたのかを思い出す程度にしておき、想定質問等は考えないままぶっつけ本番で挑んだ官庁訪問でしたが、嬉しいことに希望の省庁から内々定をいただくことができました。あまり面接対策をしなかった分、暗記した文ではなく自分の言葉で話せたのが功を奏したのかなと自分では思っています(震え声)。
以上から、「研究が嫌だから」ではなく「就職が決まっちゃったから」という成り行き的な理由で中退をすることになりました。
7月頭に内々定を貰ってから初めて、自分が就活をしていたこと・内々定を貰ったので中退したいこと・中退するが研究は続けたいことを教授と准教授に報告しました。本来ならもっと早い段階でするべきだったのにも関わらず、先生方は自分のわがままを聞き入れ就職を祝ってくださいました。感謝で頭が上がりません。
そこからは研究に集中することができ、運がいいことに国内学会(査読なし)と国際学会(査読有り)でポスター発表する機会をいただけました。今は一通りやることを終わらせ、そろそろ大学院を去るための後片付けをしようかなぁと考えているところです。
ダメだったことと良かったこと
この2年弱の経験で感じたことを紹介します。
まずダメだったのは、自分の将来について考えるのが遅すぎたことです。大学のカリキュラム上授業期間中は課題で忙殺されがちなので、長期休暇等のタイミングでじっくり自分の人生と向き合うべきでした。もしちゃんと考えていればB4の段階で就活を終わらせていたかもしれません。中退することによって少なからず研究室の方々に迷惑をかけることになるので、できることなら避けるべきでした。
逆に良かったのは、周りに流されずに自分の将来を決めることができたことと、中退するとはいえ自分の中ではかなり充実した研究生活を送れたことです。M1になり学会発表や発明届の提出等を通じて、実験するだけではなくそれを分かりやすく人に伝えたりそれにより資金を獲得したりすることも研究の一環なのだなぁということを感じることができました。これはB4の卒論研究だけではなかなか得られない経験なので、やはり院に進んだことは間違ってなかったと思います。
最後に
人によっては私の生き方を「逃げ」として捉えるかもしれませんし、それを否定するつもりもありません。実際修論を書く必要なくてラッキーって思っている部分もありますし。こういう生き方もあるんだなという風に参考にしてもらえればそれで充分です。
家族や研究室の皆様には大変ご迷惑をおかけしましたが、皆さん自分の就職を応援してくれて本当にありがとうございました。後悔ないよう生きたいと思います。
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