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『シャン・チー テン・リングスの伝説』感想

 待望のマーベル・シネマテッィク・ユニバース新作。直近だとブラック・ウィドウやドラマシリーズがあったものの、あちらは既存キャラクター、過去の出来事の掘り返しなので、まったく新しいキャラクター、新しい世界はフェーズ4と言う段階に入って初めての作品になる。

 シャン・チーは、そのスターターとして十分どころか破竹の華々しさをもってデビューを飾った。

 アイアンマンから始まったMCUは、アイアンマンこそ米国ではメガヒット作品だったが、日本では一部の映画ファンだけの熱狂で始まった。それが、10年で映画界で最も興行収入を稼ぐビッグバジェットとなった。

 わざわざこんなエンドゲームからのここ2年で擦り続ける話を持ち出すには理由がある。シャン・チーは、MCU内外含め見たことのない絢爛なアクションと今まで以上に普遍さを持った魅力的なキャラクターを持ってMCUという壮大なサーガに入り込んできた。終盤にそれを総括するシーンがあるのだが、それはまさにアイアンマンで味わったいまだ知らない壮大な物語にこれから突入していく高揚感を追体験できる。

 MCUからのゲストもいるが、それはカメオの枠を出ない遊び枠で、昨今のシリーズと比べると驚くほどシャン・チーは他の作品とは接点がない。独立した世界観、アクションはMCUファンとしてもMCUとの繋がりなんて忘れるほどに夢中にさせてくれる。つまり、新規でも気軽に通ることができるシリーズでもあるし、シャン・チーだけで観ても全然いい。

 ストーリーは王道で、ともすれば捻りは無いかもしれない。しかし、公開されているあらすじや予告では隠された面があり、予告から単純に受け取れる功夫アクション映画という情報を鵜呑みにすると、功夫アクションを楽しんでいたら、鮮やかなストーリー運びにいつの間にか予想だもしない未知の世界に誘われることになる。きっと意図してさらに冒険心を揺さぶる為に、本筋の部分は隠していたのだろう。そこを見せておけばという意見もあるかもしれないけど、個人的には粋な計らいだと思う。

 ドラマとしても分かりやすく、世界最強の殺し屋でトニー・レオン演じるウェンウー・ウェンの妻を失った喪失と、ウェンウーに翻弄され逃げて生きてきたシャン・チーの後悔、兄のシャン・チーに置いてきぼりにされた妹シャーリンの生きざまというウェンウー・ウェンを起点とした家族の確執を描いたドラマで構成されている。

 トニー・レオンはさすがの風格で、監督のデスティン・ダニエル・クレットンがトニーのシーンでカメラを回す時に「何を監督すればいいのか分からない」と嘆いたほどとか。セリフ数としても多くないシーンでも物語ってくれる目が驚異。トニーは目での演技がアクションと言っても過言ではない。気に入ったのはダブルのスーツで怨嗟の念に静かに燃えカチ込みするシーン。

 そんなトニーと向き合わないといけないシャン・チーのシム・リウは全くの新人で大変なプレッシャーなのは察するに余りあるが、そんな心配なんて無用といういうほどに見事なスター性を発揮している。人の良さそうな柔和なホテルマンが出てきたと思ったら、最初の見せ場であるバスのシーンに入りアクションが始まれば、瞬時にその俊敏でパワフルな動きに襟を正すことになる。ブルース・リー、ジャッキー・チェーン、チャウ・シンチーに続く功夫スターの息吹を久々に感じさせてくれる。そのあとも柔和な面から出されるユーモアとアクションを繰り出す時の烈しさに揺らされる事になるが、そこに後半に入ってくると更なる一面がドラマを飾ってくれる。シャン・チーはウェンウー・ウェン……殺し屋の息子だ。中盤になってくるとシャン・チーにもその冷徹な側面が出てくる。インターネットでの親しみやすいキャラが愛されているが、シム・リウに求められたのは考えの読めない顔にあったのじゃないかと思わせるほど、柔和さ、烈しさ、冷徹さ……自分の多面性のその狭間で揺れる複雑な心境を見事スクリーンに映し出していた。シャン・チーはシム・リウにしか演じれなかっただろう。

 そんなシャン・チーを常に支えるのが絶妙な親近感がある演技で大人気な俳優のオークワフィナが演じるケイティで、ケイティこそ本作に登場する純粋な一般人でささやかな悩みを抱えている。ケイティの悩みが流転する冒険物語に親しみやすいエッセンスを加えていて、最後のオチのメッセージを引き締めている。そのオチこそ今後のMCU、そして、シャン・チーの物語の先を示唆するものになっていて、人によっては作品を邪魔する要素に感じるかもしれないが、それどころか逆にそうと感じさせないほどシャン・チーと言う映画を完成させている要因となっている。その悩み自体もごく有り触れたもので、きっと多くの人が共感することだと思うが、リアルなのはケイティが重く悩でるのではなく、旅の最中でなんとなくそう感じて吐露した悩みで、その悩みこそ、この作品でアイアンマンで感じたような未知の世界にこれから進んでいく高揚感を再び味合わせてくれた結果となった。

 シャン・チーとケイティ、シム・リウとオークワフィナ。今までのMCUにはいなかった普遍的な親しみやすさがある俳優で、この2人があの華々しい世界に突入していく事が待ち遠しくて仕方がない。エンドゲーム以降、描かれた作品はどれも既知のスターであり、キャラクターで、既に熟成したストーリを味わってきたので、シャン・チーが持っているフレッシュさは心地よさを覚えた。

 MCUに限らず、シャン・チーは役者やアクション、物語運びの大胆さは昨今のアクション大作ともまた違った新しい息吹を持っている。色んな要素が積み込まれていて崩壊してもおかしくないものを絶妙なバランスで仕上げたのは監督であるデスティン・ダニエル・クレットンの手腕だろう。

 デスティンはシャン・チーまではショート・タームでもガラスの城の約束でも家族という柵に囚われた人々を描くドラマ作品で高評価を得てきた監督だ。デスティンが様々な要素が入り乱れるシャン・チーを纏めたのもまた家族というテーマで、舞台が大きく変わってもそこに根差す家族というものは変わらない。マーベル側のコントロールもあってのことなのか、きちんとエンタメとして鮮やかに家族が齎す絆、傷を克明に描いていく。過去2作に比べればドラマを浅く感じるのは当然かもしれないが、物語が先に進むと目が覚めるように唸るのがシャン・チーのアクションにも家族のドラマが反映されていく。特にミシェル・ヨーが演じるシャン・チーの叔母であるイン・ナンがシャン・チーに武術を教えるシーンは動きの美しさに背景にあるエモーショナルなドラマが重なって記憶に焼き付くことになり、終盤のアクションを大いに飾ることになる。そういった部分もシャン・チーに新鮮な見応えを与えている。

 アクションはエモーショナルなだけでなく、ダイナミックで野心的だ。それに80年代~2000年代くらいの映画ファンの心を擽るような遊び心もある。本格的な功夫を中心にしたアクションにカメラワークや画作りのダイナミックさが加わって、冒頭のバスのシーンのアクションは映画に釘付けにされるには十分。続いて香港の高層ビルでは、香港映画ではお馴染みで今や懐かしい外壁沿いの工事用の竹の足場での立体的でスリリングに映えて楽しいアクションが繰り広げられる。「竹の足場でアクションと言ったら……」というアクションもちゃんとあったのが嬉しいサプライズ。本作の要となるテン・リングスを絡めたアクションは動きの予想ができなく、巧みに武術と融合していていつまでも見ていたくなる。本作、撮影にサム・ライミ版スパイダーマンのビル・ポープやスタント・コーディネーターにジャッキー・チェーンのアクションチームに所属していたブラッド・アランが参加しているのでどこか懐かしさがあるのも頷ける。

 気になり始めれば気になるところもあるが、一つ一つの要素は楽しく、根差すドラマの描き方は鮮やかで普遍的なので届くものがある。キャストも才能豊かで、キャラクターはそれぞれのドラマをきちんと抱えていてストーリーを支えている。アクションは烈しく華々しいだけでなくドラマを盛り上げるためにも作用している。常に新しくものを届けようというスタイルこそが個人的にMCUに期待している、それこそMCUだと思っている部分で、新しいものを届けるためには常にベストでなければならない。ベストであるには、リアルを織り込まなければならない。その点に於いて、シャン・チーは全く新しいMCUの世界であり、観たこともないアクション映画で誰でも楽しめるようなMCUの次のステップとして順風な映画となった。

 アベンジャーズ エンドゲームでは様々な世界観、キャラクターに魅了された世界中の人々がそれぞれの最寄りの映画館に集中して熱狂した。今はコロナ禍という情勢化で人と会うことも難しい。世界どころか国内すら旅行に行くのも難しい。けど、映画は、物語は、無限の可能性の世界に連れていってくれる。MCUは常に多様的で壮大であり身近な世界を見せてくれる。シャン・チーには、その至純の可能性が輝いていた。

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