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[Vtuber]東方と比べることで分かるホロライブのヤバさ


ホロライブを見すぎて時間がなくなってやばい庭師鳥です。

東方Projectの新作が発表された。
東方にはぼくは風神録~宝蓮船くらいまでの頃にかなりハマっていて、二次創作などもずいぶん色々と楽しませてもらった。特にその頃はニコニコ動画全盛期。東方M-1グランプリに絵をつけたものはとても面白く何度も何度も見たし、またファイプロで東方キャラを再現してプロレスさせる動画も次が気になって仕方なかったし、MUGENというなんでもありな格ゲーの黒い美鈴(メイリン)が滅茶苦茶カッコよくて好きだったりもした。

最近Vtuber…特にホロライブにドハマリしているぼくだが、ホロライブを見るたびにこのグループの魅力って東方のそれとすごい似てるなぁと思う。この記事ではその類似性について、そしてまたその違いについて・・・そしてヤバさについて話してみたい。そうすることでホロライブやVTUBERについて気づくことが色々あって面白いのだ。

ぼくはにじさんじをほとんど見ていないので分かる範囲で書こうとホロライブと題名に書いたが、にじさんじでもここに書いたことと似たようなことは言えるのかもしれない。大きな違いは女性のみかどうかといった違いか。自分は男性が出てくると嫌だというほどのことはないのだが、やはりにじさんじはどこかTVバラエティのような雰囲気を感じて、ホロライブとは違う印象を持っている。

さて、なぜホロライブが東方と似ていると思うのか。いくつかのポイントがあって一つ一つにも長文を書くこともできるのだが、特にぼくが面白いと思う2点について詳しく書きたい。

まずそのルック。この見た目というのはVTUBERのすごく面白いところだとぼくは思っているのだが、VTUBERの画面というのは本人のキャラクターがプレイするゲーム内容がわかる程度の大きさに配置されている。ぼくらはVTUBERの一喜一憂を観ながらプレイするゲームを同時に観て、自分でゲームを遊ぶときがそうであるようにゲームのキャラクターとVTUBERを重ね合わせて見ている。
一方東方Projectの本編であるゲームでは、霊夢や魔理沙などのプレイヤーキャラクターはドット絵の自機であり、敵ボスと会うとそこで会話が発生し、彼女たちは会話シーンとしてアップになって登場し、一喜一憂することになる。そしてプレイヤーであるぼくらは、その2つの姿を重ね合わせ、小さいドットのキャラクターを霊夢や魔理沙、また敵ボスとして認識するのだ。

もちろんこういったことは東方のみならずの話だが、このVtuberとゲーム上のキャラクターを同じものと見るという感覚をぼくはとても面白く思っている。
不思議なことに本人が実写でうつされたyoutuberの実況だとその感覚が薄くて、Youtuberと、その人のプレイするキャラクターと分けて考えてしまうのだ。そこらへんは人によって感じ方が違うとは思うのだけど、やはり現実の人間と空想上のキャラクターと無意識にぼくの中で分けているのではないかと思う。なのでyoutuberはこちらの世界の人間であり、Vtuberは向こう側の人間に感じてしまうのではないだろうか。

話は脱線するがその面白さを感じることが色々あって、それを紹介したい。

まずはにじさんじ甲子園。パワプロで行われたにじさんじのコラボは、Vtuberが監督となって各選手ににじさんじVtuberの名前をつけてCPUに試合をさせるというものなのだが、そのそれぞれの選手がだんだんと本物のVtuberのように感じられて、特に野良猫なんて本人そのもののように感じてとても面白かった。もはや本人はプレイさえしていなくて、そこに名前しか存在しないのに。プレイヤーはたしか6人なのに、にじさんじ全員が参加してるような祝祭感があって最高なイベントだった。

また東方のゲームをホロライブの船長がやるのだが、そうなると自機→アップになったキャラクター→プレイするマリン船長とアバターが3重になってきて、一人でモヤモヤここに書いた妄想を膨らませていたぼくには、もうどんどん色々重なってきて面白い。脱線はここまで。

東方とホロライブが似ている2点目はそのキャラクター性。
ここがぼくがこの文章で最も言いたいところなのだが、Vtuberは各自がゲーム配信をする。ぼくはそれに二次創作と同じ感覚を抱くのだけど、これを読む皆さんはどうだろう?
Vtuberは各自がそれぞれに性格や見た目、話し方など、人間なので当然なにかしらのキャラクター性を持っている。そういったそれぞれのキャラクターが色々なゲームをプレイする・・・それを見ていると、東方のキャラクターが元々のゲームであるシューティングをプレイするのみならず、二次創作で格闘をしたりプロレスをしたりデスゲームをしたり漫才をしたり・・・それと同じ感覚をぼくは感じるのだ。ここにVtuberの沼がやばいという理由があるのだが、それについては最後にまとめて書くこととする。


他にもいくつか理由があるので簡単に書くと・・・
・女性のみというところ
にじさんじとの比較でも書いたが、ホロライブは基本的に男性ライバーと絡まないので、男性キャラがほぼ出てこない東方と似ている。

・音楽
東方には各キャラクターにテーマ音楽があり、それがそれぞれのキャラクター性の重要な側面となっている。ホロライブの面々もそれぞれが歌も歌い、また配信テーマのような音楽もあって、そこもまたどことなく同じ感覚を抱くのだ。

・デビュー時期によるグループ化
東方はシリーズごとにキャラクターがまとまっていて、それもホロライブの1期生2期生といった期でグループをくくり関係性を築くのと似ている。0期生といえる旧作という存在もあったり。

以上東方とホロライブの似ている点をつらつらと書いてきたが、ここでその大きな違い…なぜホロライブにハマるのがやばいかという話をする。

twitter2021年2月28日

(東方と特に似ていると思うVtuber、兎田ぺこらと因幡てゐ。うさぎキャラで詐欺して痛い目に合うという因幡の兎を元にしたキャラクターはまんまいたずらっ子なぺこらと被る。)


さて。上の2点目として書いた通り、ホロライブはまるで東方の二次創作を見ているような感覚がある。

この文章を書くにあたり、東方でいう1期生で東方の象徴、フランドール・スカーレットと雰囲気の似ている赤井はあと=はあちゃまを描いたのだが、この二人には大きな違いがある。それは登場回数。フランは大人気キャラクターにも関わらず、東方紅魔郷が出て約20年、原作にはぼくの記憶では一度も会話をしていない。(弾幕をクリアするだけの目的のゲームで立ち絵だけ出てきたりはする) それもそのはず、東方の原作は1年に多くて1作。だいたいは全部の敵が新キャラクターだ。1次創作の供給量が圧倒的に少ない。これは東方に限らずゲームであれ漫画であれ、そうそう1次創作は供給されず、その隙を埋めるように二次創作が出てくるし、それをファンは喜ぶのだ。キャラクターが好きだから。

しかし、ホロライブはどうだろう。各ライバーがそれこそほとんど毎日のように、2時間3時間と配信を行う。東方でいう魔理沙やアリスが毎日会話して、プロレスして、格闘して、ホラーを体験して…そんなのは東方ファンにとってはまるで夢のような話。それがホロライブだ。まるで二次創作のような勢い・・・いや、二次創作で追いつけないような勢いで大量の一次創作が供給される。東方ファンやさまざまな作品のファン、特に二次創作にハマったくらいの熱量を経験したことがある人なら、このヤバさが分かるだろう。

しかも、彼女らとは会話もできる。もちろん大量のコメントの中から自分のコメントが選ばれるかは運だが、ぼくらファンの中の誰かが会話をできる。そんな1次創作があるだろうか?因幡てゐはぼくのコメントを読むことはないが、兎田ぺこらはどうだろう?

この記事では東方とホロライブを比較したが、マーベル映画に例えるなら毎日新作映画がやり、月に1,2回はエンドゲームのようなメンバー総出演に近いイベントがあり、それどころかDC映画とのコラボだってたまにあるような世界。(この前の委員長ひまわりと船長あくあのコラボとか。)ありえない。スーパーマンがぼくのコメントを以下略。

東方Projectを愛した人たちの、いや様々なキャラクターを愛した人たちの夢がここにある。困る。


・・・まとまったところなのだが、そういえば幻想郷ホロイズムっていうホロが東方を演じたCDがあった。DLもあるので興味ある方はぜひ。


宣伝ついでに。ツイッターやpixivでイラストをあげてますので、ご興味お持ち頂けるようなら宜しくお願いします。


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