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適正AVと同人AVは区別できるか?(AV新法反対派の欺瞞について)

いわゆるAV新法の施行からしばらく経つがツイッター上ではすっかりこの話題がクラスタ化してしまったようで、主に反対派なのだがもはや理屈も思考もなく機械的にAV新法の立法者を痛罵しAV新法をひたすら呪うだけの機械のようになってしまったアカウントが少なからず見受けられる。

AV新法の内容解説については俺の手に余るところなので上のリンク先記事なんかを読んでもらいたいが、俺がAV新法に関する賛否両論を見ていて疑問に思ったのは、そもそも適正AVと同人AVは別個のものとして分けられるものなのだろうか? ということで、それはついさっきこんな記事を目にしたことから半ば確信へと変わった。

要約すれば、この女優の人はセフレのような人にハメ撮りを撮らせたらその男が彼女に無断でハメ撮り動画を売ってしまい、海外サーバーに流れたので事実上手が出せない状態になってしまった。膨大な訴訟費用などをそうそう工面できるはずもなく、開き直って、かどうかは知らないがどうせ全世界的に見られてしまっているならといわゆる適正AVをやっているAVプロダクションに入り現在AV女優として活動しているとのこと。

AV新法問題でしばしば言及される同人AVとはざっくり言うなら適正AVならば守るべきメーカー側と女優・男優側の契約などを一切交わすことなく撮影される闇AVのことであり、この女優さんのケースであればハメ撮り動画がそれに相当する。

この話を「同人AVで傷ついた女優さんを適正AVのプロダクションが救った」と解釈する人を見かけて眩暈がする思いだったのだが、本人が現在の仕事をどう思っているかはともかく、これは「同人AVが入り口となって適正AVに流れた」人の話と解釈するのが妥当であり、であるとすれば、AV新法問題であたかも何一つその存在に問題がない純粋な新法の被害者のように自らをアピールしがちな適正AV業界(とその取り巻きのAVファンの男たち)は、いささか自分たちの汚れを度外視しすぎているようにも思われる。それは以下のリンク先で語られているAV女優のインタビューからも窺えるのではないだろうか。

俺は別にAVに詳しい人ではないので業界の内情などはわからないのだが、むしろ逆にというか、どうもAV新法絡みの議論は狭い意味で「業界」に注目しすぎているように思うので、少し視野を広げて抽象的にこの考えてみたいと思う。

なぜ適正AVと同人AVは分けられないんじゃないか、つまり同人AVに罪があるなら少なからず適正AVにも罪があるんじゃないか、と俺が考えるかといえば、たとえばこんな例を頭に浮かべてもらいたい。

日本にタピオカ屋の一号店を出店したらめちゃくちゃブームになってめちゃくちゃ儲かった。するとタピオカはめちゃくちゃ儲かるという噂が広がったので次々と別事業者によるタピオカ店がオープンした。タピオカ一号店を出店したオーナーはまさかこんなにブームになるとは思わなかったので出店準備に時間を掛け慎重に店舗運営を行った。衛生管理や品質管理に気を使って、この店のタピオカは美味しいし安全。一方、ブームに乗って単に金儲けのことだけを考えて出店した他の事業者のタピオカ店は、だいたいはちゃんとやっているとしても一部店舗は衛生管理や品質管理が極めてずさんかもしれないし、労働基準法も遵守していないかもしれない。

このたとえ話のタピオカ一号店がいわば適正AVで、二匹目のドジョウを狙ってその他大勢の便乗タピオカ店が同人AVと考えてもらいたい。資本主義は常に差異化の運動に基づく以上、あるところに儲けが発生すればこうした波及・拡散は避けられないわけで、それをタピオカ一号店の責任とまでは言えないにせよ、タピオカブームによって劣悪タピオカ店で集団食中毒といった大きな事故が発生すれば、少なくともタピオカ一号店も無関係であるとはいえないし、多少の道義的責任がないとも言えない。なぜならタピオカ一号店は業界の一番手としてタピオカ管理ルールなどを定める業界団体を設立することもできないわけではないからだ。

ではまた別のたとえ話をしてみよう。ある会社がそれまでにない斬新なスマートフォンを発売したらこれが世界的に大人気になった。他社も真似したいが同じものを作ることはできず、仕方が無いから真似できるところは真似しつつも各社独自の売りをスマートフォンに付けて売り出すことになった。

このたとえ話とタピオカ店のたとえ話は違いはどこだろうか? それはタピオカ店であればきわめて参入のハードルが低く、手元にいくぶんかの金さえあれば(あるいはなくても)素人でも見た目の同じようなタピオカ店を簡単に出店することができるが、スマートフォンの製造は高度な技術力と莫大な資本が必要であり、一部の電機メーカー以外は参入することができないという点にある。

俺がこのふたつのたとえ話で示したかったのは、適正AVと同人AVの関係性の変化だ。メジャーもマイナーも区別がなかった業界黎明期はともかくAVが産業として確立された時代においては、個人やマイナーメーカーによる裏ビデオなどは流通していたにせよ、メジャーなAV業界とそうした裏ビデオなどを製造・販売する個人やマイナーメーカーの力関係は明確であり、裏ビデオにしたって儲かる仕事には違いないとしても、メジャーメーカーのような大規模な儲けにはならないし、また優れた作品を撮影することもできず、摘発リスクも常に抱えた、これは産業というよりは単なる違法行為といえる(まぁアウトロー産業とか言ってもいいけど)

では現在はどうか。AV業界に限らず現在の映像産業は個人ないしマイナーメーカーでも分野によってはメジャーメーカーと遜色ない、あるいはメジャーメーカーをも凌ぐ映像作品を容易に制作できてしまうし、更にはそれを流通させるプラットフォームも国境を跨いで無数に用意されている。言ってみれば現在のAV業界はタピオカ時代であり、元手がほとんどなく法律知識も十法精神も希薄な連中でもいとも簡単に同人AVを作れてしまうし、タピオカ屋に並ぶ女子高生が特定のタピオカ屋にはあまり拘らないように、AV消費者の男性もまた適正AVか同人AVかという違いには拘らず、メーカーやプラットフォームにも拘らない。そのような構造の中で、同人AVは雨後のタピオカのように増殖を続けるだろう。

だからこそAV女優が危険な同人AVに流れず適正AVに留まるように適正AVを保護し同人AVに対する法規制を強めるべきなのだ、というのはAV新法反対派の主張なのだが、そもそも同人AVに女優が流れるとすれば、以上の産業構造の変化から見ればAV新法とはほとんど関係のない当然のなりゆきではないかと俺としては思う。だいたい契約をすっ飛ばして撮影される同人AVに対する規制強化はAV新法にも盛り込まれているのだから、適正AVの締め付けによって触法的な同人AVへと女優が流れることの危惧を理由にAV新法に反対するのは、業界内の論理で物事を考えすぎていてそれよりも広い視野で現実を捉えていない。

加えて明確にしておきたいのは、AV新法はそもそも成人年齢引き下げに伴う18歳、19歳のAV出演者を保護するための議員立法としてスタートしたということで、AV業界団体やAV新法反対派の業界女優・男優は自分たちを置き去りに法整備が進められた、と不満をこぼすが、それではあなたたちは従来であれば未成年者取り消し権によって保護されていた18歳、19歳のAV出演者が、成人年齢引き下げによってその権利を行使することができなくなると知っていたにも関わらず(知らなかったならより罪深いが)、新たなる保護制度を求めて積極的に動くことはあったのか、と言いたい。仮にそうした動きを何ら行っていなかったにも関わらず今になって自分たちの権利だけを叫ぶのなら、それは率直に言って人間として最低のゴミクズである。テメェらの頭には金と精液しか詰まってねぇのかバカが。

どんな法律であれ施行直後は混乱する。しない法律などない。だからといってそれを無視せず丁寧に不満の声を掬い上げるのも政治や行政の仕事ではあるが、だからといって市民の側は不満をぶつけるだけで良いということはない。そちらの側にだって果たすべき責任というのはある。でなければ民主主義ではなく全体主義になってしまうだろう。

個人的には、AV制作やAV出演を含めた性産業については免許制にするのが一番良いと思っている。それは性産業を国家として認めるということであり、無免許業者に刑事罰を科すことでAVにまつわる様々な被害は激減するのではないだろうか。現在「職業差別」だとしてAV新法反対を訴える声まで上がっているが、性風俗が法的には認められていないにも関わらず公然と行われており、AVでの本番行為もまた法的には認められていないもののモザイクの先で公然と行われている現状、AV新法の有無に関わらず性産業は法的に「職業差別」を防ぐことができない。免許制の導入は真に性産業従事者の職業差別を解消するためにも必要だろう。ただ問題は、業界からも消費者からもラディカル・フェミニズムの団体からも壮絶に叩かれまくるのでほとんど実現不可能ということだが。

最後に、AV新法に関する業界側の反論として、制作本数が減ることで会社はもとより出演者の収入が激減するというものがある。これはまったく俺個人の意見で人に理解してもらおうとは思わないのだが、今のAV制作本数ははっきり言って異常なレベルであり、これが100分の1ぐらいになっても別にいいんじゃないかと思う。俺は1本のAVを何百回も繰り返し観るタイプで、どんどん新しいAVで抜きまくるというようなことはできない。結局、これだ!とチンコがピンとくるAVなんてそうそうないわけで、それよりも俺にとって最高にエロイ1本のAVで抜く方が、たとえそれが十年前のものだろうと二十年前のものだろうと気持ちいいし、作品にも出演者にも愛着が湧く。及川奈央は永遠に美しいし、立花里子を超える痴女はいない。

今のAV消費者は作品も出演者も軽視しすぎているのではないだろうか。そしてそんな消費者に引きずられて、業界も駆り立てられるように作品を粗製濫造しすぎなんじゃないだろうか。もちろん、そうだとしてもその経済活動を法で引き締めるべきではないけれども、どうせAV新法を議論するのなら、そんなことも少しは考えてほしいと思うのだ。



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