突然東京に出てきた話

ある日突然地元で就職した会社を辞めた。大学留年生を拾ってくれたその会社には今でも感謝しているが、当時の自分の稼ぎと給料が見合わず、交渉した上での結果だった。今思うと30歳が見えはじめる所で手取りが残業無しで十万台という焦りもあったのだろう。インターネットではITバブル花盛りな同業の情報が乱れ飛び、かつ技術的にも進んだ会社が多い東京に憧れていたというのもある。

幸いにしてこんな自分でも拾ってくれる会社があった。もうひたすら勢いだけで面接に東京に出てきて即日採用。翌日には辞表を提出し、その翌日には部屋探しにまた東京へ出てくるという慌ただしさ。今省みると世間知らずの無謀さでしかないが、おかげさまで野垂れ死ぬことも無くまだ東京で生き延びている。

数軒物件を見回って、最終的に選んだのは六畳のキッチン兼ダイニングと六畳の生活エリアが一続きになったちょっと広めのほぼワンルームと言ってよいマンション。部屋間の間仕切りは無いので玄関から部屋の奥までは素通し。洗濯機はキッチンエリアに設置エリアがありユニットバス。ホテルにもあまり止まったことが無い身として、トイレとバスがセットのユニットバスはある意味新鮮だった。自炊するつもりでいたので一応2口のガスコンロを設置したが、ついぞお湯を沸かす以外に使われることは無かった。何故か通気用窓のガラスに小さなひび割れがあったが、特に支障は無いのでクレームも入れずにそのままにしておいた。

他の決め手は、マンションの一回が深夜遅くまでやっているステーキハウスだったこと、隣のマンションの1階がコンビニだったこと。これらがあれば帰りが遅くともメシには困らないだろうという考え。実際この二軒には一年という短い間だが実にお世話になった。

ずっと実家暮らしであったため、引っ越した当初は自分の城を築き上げたような気分であったが、仕事が割とハードであったため殆ど寝に帰るだけ(職場へは徒歩通勤)。ろくに家具など調度品を揃えることもなく、買った本やガジェットが壁際に積み上がっていくという典型的な独身男の荒れた住まいだった。そんな生活でも自由度の高さかと東京の物珍しさからエンジョイはしていた。

一年後、結婚を機に新しい住まいを探して引っ越す事になった。現在の住まいの割と近場に新居を借りたので、引っ越しはハンドキャリーと洗濯機の搬送だけ赤帽に頼むという手軽さでお終い。結局ほとんど寝に帰っていただけのような住まいだったが、初めての一人暮らしの自由さを味あわせてくれたあの部屋には、今でも感謝している。

旧居近くに未だ住んでいるので、散歩の時にたまに前を通りがかる。

「今はどんな人が住んでいるのかな?」と思いながら、通りがかる度にその部屋を見上げる。僕が住み始めた時からある通気用窓の硝子にあいた小さなひび割れはそのままだ。

気づけばもう二十年、東京に暮らしている。

東京には慣れたが、自分はあのほぼワンルーム暮らしの頃から進歩したのだろうか?とひび割れを見上げる度に、思い返す。

毎度ご覧頂き感謝です♪ お布施をしていただくと、僕の喫茶店での執筆時のコーヒー代になります。とても助かります。