読み放題対象「鏡のない国のアリス」
今日も今日とてネット世界には「おまえのことだ」や「鏡みろ」といった言葉が溢れかえっている。どうしてそんな言葉が生まれるのだろうか。
この言葉が生まれるのは、簡単にいえば「私は○○な人です」とアピールする人間とは、むしろ真逆な人間であることが多いからではないか。だから「怒り」や「笑い」を買ってしまうわけだ。
たとえば「私は人よりも共感する能力が高く、人に寄り添うタイプです」と自己分析している人とは、だが、実際には、その正反対で「他人の気持ちがまったく思いやることができない」「強引に自分の意見をおしつけるタイプ」が多かったりすることはないだろうか?
または「私は謙虚で慎み深く、おとなしい人間なんですよ」などと訴える人間に限って、実際には「誰よりも自己顕示欲が強くて、過激な言動を繰り返す人(奇行種)」として知られているなんてことはないだろうか?
少し具体例をあげてみよう。
共感し寄り添う力の百戦錬磨の有名記者
望月イソコ氏といえば、官房長官会見では質問する時間なのに、ひたすら相手はお構いなしで、「わたしだけを見て!」という感じの長い独演会をはじめて、司会からは「質問は簡潔にお願いします」と何度も注意され(やめない)、他者の記者すらうんざりさせまくっていた。だがそんな望月イソコ氏が「共感し、寄り添う力」を訴えている……。
そのため「アナタに欠けているのがまさにそれでは?」というような言葉が多くの人々から噴出してしまった。
記事の中では、「百戦錬磨の有名記者が教える、ネガティブな相手の態度も一瞬で和ませる『最強の切り返し方』とは」「まず必要なのは、『共感し、寄り添う力』ではないでしょうか」とかいてある。
つまり、翻訳すると「私が記者として成功しているのは、共感し寄り添う力があるからです」という自己認識の表出として、このような記事がまろびでてきたと思われる。さらに「立場の違う相手をリスペクト」とか、「否定的な意見は受け入れ、暖かく返す」とか思わず目をゴシゴシこすって二度見して目薬をさしてブルーベリージュースを飲みながら眼科に駆け込むようなことが書いてある。
――なるほどなるほど。
さて、貴方はこの望月イソコ氏とは一体、本当はどのような人だと思うだろうか?
こういう事例は枚挙に暇がない。もう一例あげてみよう。たとえば、こんなふうに主張するフェミニストがいた。
自分は穏健派であると主張するフェミニスト
このフェミニスト氏であるが、まずは最初に「いつも思うが、『過激なツイフェミ』というのは、一体どこにいるというのだろうか」と呟いた。要するに「(私が過激なツイフェミなわけないよね?だからそんなものは、いないよね?)」といいたかったらしい。そしてまろび出た言葉が「私なんか相当穏健派ですよ?」という言葉なのだ。
――なるほどなるほど。
さて、貴方はこのフェミニスト氏とは一体、実際には、どのような人だと思うだろうか?
というわけで、貴方のモヤモヤをすっきりさせるニワカちゃんです。
今回は、このSNS世界を駆け巡る「お前のことだよお前」や「鏡みろ」という言葉がでてくる構造を解明する。
すなわち「私は○○な人です」みたいな表明する人には、むしろ逆のタイプが顕著に多くなる理由である。たとえば望月イソコ氏はなぜああいう発言をしてしまうのか。ここには負のスパイラルがある。実はそうなることは必然なのだ。それは――
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。