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自分教の洗脳が溶けそうな話。10/04日記。


なんとなくBGM。本文とは関係ありません。


ながらく自分教信者だった。

例えば「神よ救いたまえ」と言ったって自分を救えるのは自分しかいないし、「神はお許しくださった」って自分で許しただけだろ都合良いこと言うな〜とかっていう宗教。

ギター背負って散歩しながら随想。

いつも歌う橋の下まで。以下、その時浮かんだ自問自答、殴り書き。

「なんで音楽するのか」
「気持ちよくなるため」
「なんで音楽で気持ちよくなるのか?」
「知らんわ本能じゃね?」
「親の影響じゃないか?」
「…」
「部活は陸上部と迷ったけど結局音楽教師の親父の影響で吹奏楽入ったよな?」
「それは…」
「親の言いなりになって教育大に進み」
「成績が悪かった(補欠合格)から希望した数学専攻には入れず理科に回された」
「その数学だって母親の影響だよな?」
「そう、そして昔から苦手な理科つまんなすぎて『せや、音楽の副専攻取ろ』って」
「また親父が出て来た」
「『自分』が、ない?」
「『自分』があるとでも思ってんのか?」
「え?」
「親も含めて自分じゃないか?」
「そんなこと…」
「『自分』がないと嫌なのか?」
「…」
「極端な話、この世にお前しかいなかったとして、そこにお前は在ると言えるのか?」
「たしかに…」
「この世が在るからお前は在れるんじゃないの?」
「この世がなかったら何も感じず何も考えられないだろうな」
「お前の世で親が大きいだけ」
「そうか、親が嫌なら」
「そう、たくさん人に会え」
「たくさん影響を受ければ『自分』になれるのか?」
「お前はこの世のお陰で在るだけ」
「なるほど」
「そう考えるとヤオヨロズの神ってよくできた考え方だよな」
「ソダネー」
「それ北海道弁やで」
「ま?」
「感謝しろ」

ありがとう

アイアムゴーッズチャーイルド♪

「いや関係ないからな?」

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