【余計なアドバイスすな(自戒)】日記。1/16
BGMにどうぞ。
余計なことをいう。
それはそれで味になる気もするし、ウザいキモいと言われればウフフフフとなるので、言わないほうが良いのかも知れないが無くそうとも思えない。
余計なこと言うやつだな〜と思ったら閉じてくれればよい。そもそも余計じゃないことってなんだ?誰も何もしゃべらない世界に?
余計なアドバイス。
数ある余計なことの中からこれを抜き出して「言うな」と自戒するのはなぜか。「余計なアドバイス」ってなんだ?
それは経験からくるものなのだろう。
あのときああすれば良かった、しなきゃ良かった、18年を棒に振った、だから若い君はこうしてくれという願い、祈り。
年齢は関係ない。18年を棒に振った僕からみれば、よっぽど経験豊富な若い君もいる。いや、経験なんてものは唯一無二であって若い君も僕も、君だけの経験をもっている。
ある点において、僕は経験した。だからアドバイスしてしまうのだろう。「余計なアドバイス」とはなにか?それは「人生のネタバレ」なのだろう。
そんなアドバイスを聞かなかったから、いや、聞けなかったから、僕は18年を棒に振った。その18年は無駄か?ちがうだろ?それを経験だと誇ってるんだろ?
「ネタバレ」は迷惑行為。迷い、惑わせる行い。それを欲しがる人は稀である。そしてネタバレしたところで、おなじ物語が紡がれることもない。
お前が棒に振った18年を、振らなかったらどうなってたかという世界線は存在しないし、それを別の誰かに託すな。
それはお前の物語だろ。
誰も教えてくれない。
さて自戒したものの、みんなが「余計なアドバイス」しなくなったら、寂しいよね。
じゃあ「余計じゃないアドバイス」ってなんだ?どうしたらいい?ていうのはまあたぶん答えがでていて
問いなんだろなあ〜。
この日記は、
「なぜ?」ではなく「なんだ?」を分析して「どうする?」を考えるのだ!
という「問いのデザイン」って本に書いてあるらしいことを参考にして書き進めたよ!
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