「家族不適応殺」第10章と終章読書感想文。

犯行時のシミュレーションから感じること。

↑10章のサブタイトルに句点を加えたもの。目次を見るたびに気になっていた。

「これってもっと前の章でやることじゃね?」

だが今なら期待できる。恐らくここに筆者の伝えたいことが詰まっているハズだ。小島の魂の20枚はカットされたが仕方ない、編集の都合もあるのだろう。

この章はエネルギーを費やして読みたい。晴れた日の午前中から読むのが良いだろう。そう思っていたが今日はあいにく雨。しかも16時を回っている。

だが図書館の返却日も迫っており、これが巡り合わせか。仕方ない、読むしかない。

ん!?返却日、明日やんけ!!やべぇ、終章も読まなアカン。しんど…


序章にて。

小島から筆者の元に、犯行に使われたナタの鞘が送られていた。「一体どういうつもりなのだろう。」

そんなん決まってる。分かって欲しいからだろう。それは小島からの信頼の証でもある。

犯行の2年後、同日同時刻。筆者はその鞘を持って小島の足取りを追う。「そうすれば、何かがわかるような気がした。」

やるやんけ。


10章、シミュレーション。

新宿のラーメン屋から始まり新幹線での犯行まで。「これから人を殺すのだ」という視点から見た景色の描写は(もちろん小島本人とは違うのだが)身に迫るものがあった。

願わくば同行してくれた仕事仲間に鞘を振り下ろす場面が見たかったが、その描写がないのはなぜなのか説明もない。(残念だが仕方ない)


母親へ取材。

ああ、そっか。マザコンじゃん小島。そうか、それが欲しかったのかと。

男にとって母親とはそれほどまでに大きいものなのか、女性である筆者は分からない。

正直いうと男性のにわかーずもこの気持ちは分からない。むしろ母親は大っ嫌いである。でもまてよ?小島に聞いてもコッチよりの答えなんじゃね?


終章、自傷行為。

家の代わりの刑務所、親の代わりの国家を手に入れた小島は想像を超えた自傷行為(血は流れない)を決行。それでも命や人権は(法によって)守られるという成功体験、愛を求める。


あとがきにて。

私はさんざん筆者を批判してきたが、その点についての苦悩も書かれている。

あらためて、本にしてくれてありがとうございます。


最後の一文。

私がこの本から学んだこと、あなたも同じように感じていたことが「分かりました」。


SpecialThanks。

本との出会いをありがとうございました。


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