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「死」と聞いて(テンション↑)6/8日記。

BGMにどうぞ。

サークルで「死」の話題が出るとテンション上がりがちで、長文書くなら日記にしてしまおうと。笑。


まあこれを固定ツイートにしてるくらいですし…

「死」については、たびたびnoteに書いたりするけども、「死」と聞くとテンション上がってしまう。好きなんだろな。やったことないけど。笑。

いやたぶん前世でやってる。

それは昔よく見た夢で、前世の記憶なんちゃう?とか思い込んでる。

歴史を知らんので何時代か知らんけど、みんなチョンマゲしてた。アタシは女で、旦那は刀を持ってた。めちゃめちゃヤリマンで、毎晩のように若いチョンマゲ食べてたら、ある晩旦那に見つかって、若チョンにまたがってるアタシの背中、バッサリと斬られた。

痛くはない。熱い。

ほどなくドロっとしたものがお尻に落ちてくるのを感じて、ああ、死ぬんだって思った。

次の瞬間、嫌!死にたくない!って思ったけど、それは一瞬で、熱いのに寒くなってきて、なんだか安心してきて、残った感情は

「あなたごめんなさい」「ありがとう」

だけ。つ〜この話、いつか書いた気がするけど、ま〜いっか。何度も話していく。すると歴代彼女は「じゃあその旦那が私だったんだね!」って言うんだけど、違ったみたいだね笑。若いチョンマゲの方だったんだろう。

1億と2千年前はゴキブリだった。


「ちゃんと死ね」

「死」について考えると、現時点ではこれが理念になる。ちゃんと死ぬためには、死ぬまでちゃんと生きなくてはならない。

「死」こそがもっとも安定した状態であり、体調や感情に揺るがない「悟り」であると思う。人生は「死」をもってして完成するのであろう。

死んだあの人はどんな人だったっけ?それを語り継ぐとき、あの人の生活が、言葉が、音楽が想起される。

つまり俺たちは、生きているようで、毎日、死をやっている。

生きてなんかいない死にたい、と言ってるお前は、よりよく生きたいんだろう。死をやっているようで、生をやっている。ちゃんと死んでほしい。だからちゃんと

ただ生きる 生きてやる
呼吸をとめてなるものか

エイトビート/THE CRO-MAGNONS

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