「巨乳の誕生」第二章読書感想文。
第二章 おっぱいは性的対象ではなかった
なんてセンセーショナルな章題でしょうか。
日本にはギリシャ神話のアフロディテのような肉体美もないし、キリスト教のような肉体の罪もない。ふつうの人は服着てるしイデオロギー上の葛藤もない。
おばけにゃ学校も試験もなんにもない、みたいに言うな。楽しいな楽しいな。こんな村いやだ?
江戸時代にポルノ登場、春画。
だいたい着たまま下半身めくってヤってる。
なるほど性的対象じゃないっつーより、知らなかったんだな。我々は知ってしまったと?
衣服の構造的に手を差し入れる隙もなく、裾をまくる方が早い。寒かったし。
うんうん、しかし
夏は高温多湿、女性も上半身裸という姿が珍しくなかった。銭湯も混浴。
そうか、羞恥心か!
我々が知ってしまったのではなく、江戸時代以前の彼らが知りすぎていたのか?
1866(慶応2)年、来日したイギリス人が「混浴は不道徳な行為と考えている」と進言すると、日本人は「西洋人というのは何と好色な心の持ち主だろう」と肩をすくめた。
現代の我々も、鼻で笑われた気分。
浮世絵や春画において男女の区別は、誇張されて描かれる生殖器以外は肉体的にあまり変わりなく、髪型や服装などによって行われている。衣服を身に着けて初めて、女性の肉体は興奮の対象となる。
着てる方がエロいってやつだ!
これは現代におけるコスプレフェチに近いものがないだろうか。
着衣セックスこそが当たり前だったのだ。
分かります先輩!
春画では乳首は彩色されない
分かりません先輩!
オッパイというものは、子供がむしゃぶりつくものであって、大人の男がしゃぶったり揉んだりするものではなかった。
春画において吸ったり揉んだりの描写はなく、母性の象徴であったと。
「父ちゃんのためにあるとちゃうんやで〜」がガチな時代もあったんだなあ。
…………………ガチだったのか!?
艶本の中でも女性の側から乳房や乳首への愛撫を求めるくだりは、皆無なのである。当の女性ですら、そこが重要な性感帯であることに気づいていなかったのだ。
ほら〜〜〜知らなかったんじゃ〜ん(謎のマウント)
おっぱいを表現する言葉は「乳」のみ
『江戸の性語辞典』(朝日親書 2014年)を見ると、女性器に関する言葉は「ぼぼ」「穴鉢」「空割」「蛸つび」など31語。対して、乳房に関しては「乳」のみ。
ほえ〜。「そらわれ」て格好いいなw
「おっぱい」という言葉、江戸末期にはあったらしい。戯作者・笠亭仙果の随筆『於路加於比』には「おっぱい」が取り上げられ、その成り立ちは「おおうまい」が縮まったものだと書かれている。
な、なんだってぇぇー!!?
乳房を「おっぱい」と呼ぶようになったのは、終戦後の1940年代後半のこと
おっぱい史、まだ80年なのか…
性的対象ではなかったというより、子供のものであり興味すらなかったって感じね。
そういうもの他にもなかったっけ。
漫画とか今はおっさんも読むけど昔は子供のものだったよね。つか読んでた子供がおっさんになった感じするけど。
その前は小説もそうだったんでしょ?子供が読むものだ、みたいな。知らんけど。
子供のもの…か。
我々はなぜ巨乳に惹かれるのか?
今まで立てた仮説「暴力だから」「太陽だから」に「子供のものだから」を加えておこう。マザコン?て説もあるが……
第二章、まだ続くけど長くなったので一旦おわります。つづきはまたいつか。
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