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「居るのはつらいよ 〜ケアとセラピーの覚書〜」読書感想文。

とあるスラム民が泣いた曲。なんとなく合う気がしたのでBGMにどうぞ。


久っしぶりにスラムの課題図書を読んだので感想文を書く。

ケアとセラピーってなんぞや

言い換えれば「いる」と「する」だね、ただ居るだけをするのって難しいよね、みたいな話。耐えきれずなんかしちゃうよねっつ〜。

ケアと聞いて真っ先に浮かぶのはワイの仕事、介護職。言うて居るだけちゃうぞなと思ったり、セラピーと聞いて真っ先に浮かぶのはイルカとかドッグだが、あいつらこそ居るだけでケアやんけとか思っちゃうので言葉のイメージ逆やって、治すのに時間かかった。

読んでるうちにいつの間にか治ったのだけど、それと同時に、そっかワイ仕事で意外とケアしとるな〜とか。逆に第一章の主人公みたいなセラピーやりたがりマンが入社してきたら、ワイならガン無視しちゃうな〜周りの職員優しいな〜とか思いながら読んでた。

映画「レオン」の二人の関係性

映画レオンあらすじ:レオンが一流の殺し屋であることを知ったマチルダは、家族の復讐のために人の殺し方を教えて欲しいと頼みこみ、初めは断るレオンだったが、彼女に説得されて渋々了承する。 奇妙な共同生活の中で、やがて二人は友情とも恋愛ともつかない複雑な感情を抱くようになっていく…。

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この映画を観た人なら分かると思うのだけど、レオンはマチルダの親代わりのようなケアもしていたし、生き残るために殺し方を教えるセラピーもしていた。それはハッキリと「ケア」「セラピー」と二分できるものではないが。そしてマチルダこそが、殺し屋稼業のレオンをケアしていたとも言える。

このように「ケア、だいじやで」「ケアとセラピー、二分できひん」「一方的なものではなく周るものやで」などというのは本の中でやっていた。

「ハグ」はケアかセラピーか

chatくんに聞いてみたら「二分でけへんで〜」

ハグ。僕は両親にされた記憶がないんだけど、さいきんになって母親がハグを履修したらしく、よく親父としていたらしい。

「いるだけ」をするのは難しい

という話として「親父」と「ハグ」について思い出した。

このnoteの中で、一週間もたないであろう親父を病院で看取るか東京に帰って生活をやるかで迷いに迷った僕が「帰る」と告げると親父は「わかった」と言って握手した場面。

この握手が二人にとっては全てで、二人共、ケアは成されていた(と思う)し、noteにはそれしか書いてないのだが、ここに母親が介入してきた。

「ハグしたら?」

ワイは一瞬「ふざけんなボケ」「邪魔すんじゃねぇ」と思ったわけだ(僕は母親がキライだ。)でも僕は大人になったので、母親はたぶん、親父もハグしたがってるだろうとか、それが二人の為だろうとか思ってセラピーしたつもりなんだろう…と瞬時に解読、更に分析、ハグして見せることが母親のケアになるのだろうと弾き出し、苦い顔をしながら抱き合った。親父も苦い顔してた。

「ただいるだけ」をするのは難しい。死んだ親父などは「いない」のにケアしてくる。すごいよね。

レオンとマチルダの関係をケアとセラピーの視点でみると、昔した恋愛を思い出した。ただ居てくれた彼女はもういない。「いない」のに、「いた」ことが僕の力になっている。

読むのはつらいよ

本も後半に差し掛かると、似たような仕事をしている身としては「職場あるあるだな〜」などと思うところが多々ある話になり、特に最終章は読むのがシンドかった。苦痛。

第一章で僕がガン無視した新人くんに対して「居るのはつらいよじゃねーよ!居れよ!」という怒りすら湧いた。

「読む」は「いる」と同じようにケア足り得るのだろうか?なんでワイが筆者のケアせなアカンねん話長いねん(読書は苦手です)という感想を「書く」のはセラピーなのか?

とにかく苦痛な最終章の最後、主人公がキャッチボールする場面。そこで、彼が今までやってきたこと考えてきたことが全て肯定されて泣いた。

「僕たちは敗北した。」その物語を書くことで闘い続けてるのだなあ。

これを読んだあなたは、どこに居ますか。


どこに行こうかね。

さいごに

「職場あるある?そういう視点の感想書けや!」という声が聴こえたので一点だけ。

自分でスタンプ押すスタイル。

職場関係ないし一番どうでもいい感想!!

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