庭ぐらしメモ 最近考えたこと

ポッドキャストを聞きながら、いろいろ考えた。
「枠の中で生きること」
そもそもわたしが今使っているこの言葉すら、体系化されたもので、
この形の中では「選ぶ」ことしかできない。
何を選ぶのか?
その集合体(ブリコラージュされたもの)をどうやって作っていくか。

ちょっとした創造の前のクライシスがきている。

・Podcast
「こんにちは未来」第61回


引き続き、違うポッドキャストの話。
会社の同期の子と考えが違ってきたリスナーの質問。
アンサーは映画にもなっている「あの子は貴族」より。
「好きでも、嫌いでもないけれど、助けたり、お茶出したりしたい存在」

新たな視点だった。
今まで、好きと嫌いだけで分割していたかもしれないなあー
好きと嫌いだけで分けちゃうと、ジャッジが厳しくなって、ゆとりがなくなるかもしれない。

家族と、友人と、大事な人と。それ以外の人。
それ以外がざっくりしすぎてたけれど、
「今このとき」の仕事で一緒の人、そこから延長して付き合っている人。
ぜーんぶ全部、それでいいんだよって思う。

違うところで輝いてて、置いてかれた感覚がある人とか、
自分が劣って見えて、連絡できない人とか、
わたしのことで拒絶させるほど傷つけた人とか、
お世話になったのに恩を仇でしか返せなかった人とか、
一瞬で強烈な影響を残していった人とか、
ほんの一瞬しか会えなかったけれど、なんだかんだつながっている人とか、
ちょっとブランクを経て再会した人とか、
ああ、それでいいんだよなあーって思う。

わたし自身まだまだ尖っちゃってるけれど、そんな時もあっていいかもしれない。

・Podcast
「おしゃべりな図書室」第48夜


昔からテレビが好きだったんだけど、一時期懐疑的だった。
マスだからこそのインパクト。
その爆発力に、怖くなって、逃げたくなった。

芸能人が「特別な人」という存在であること、
テレビがマスメディアとしての力を思う存分発揮していた時、
そして、それが少しずつ剥がれて、変化がものすごく激しい。

最近はなんだかテレビが面白い。
これからどうなっていくんだろう?というちょっとしたワクワクがある。
テレビ番組自体で「これからの芸能界、テレビはどうなっていくんだろう?」と問いかけをする時間があって、現場に第一線でいる人たちが話す。
テレビをみているわたしも考えてしまう。

芸能界が特殊であることは否めないけれど、最近は日常生活の延長線上として、
芸能人のあり方(特に芸人さんの多様化)を見るようになってきた。
どこか夢のある部分は、個人的には残しておいていいと思うけれど、
多分その「夢」が「人気者」とか「お金が稼げる」とかじゃなくなるかもしれない。
その上でテレビがどうなっていくのか気になる。

今日のバクホウフライデーの最終回は、人間の多様性があるなあ、と思った。
一時期絶頂で、でもその瞬間の後の話って意外と知らないけれど、
追いかけてみたら、それぞれ自分の思い思いで生きている。
ミーハー心もあるけれど、芸能人も、当たり前だけど、同じ人間なんだなって思う。

・テレビ番組
バクホウフライデー

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