Niwagurashibooks 「消えない灯」

本日は、花岡大学さんの仏典童話をご紹介します。
仏典童話とは、仏教の教えを分かりやすく噛み砕き、子供でも分かりやすくしたお話のことです。
文庫本を丸々読むのは時間かかるかな、、、と思っていたにもかかわらず、読み始めたら手が止まらず、スイスイ読めてしまいました。

わたしが特に印象的だったことを、2つ記しておきたいと思います。

・「あきらめる」ということ

「明らかに知ることをあきらめというのだ」


おばあさんが大切にしていた息子を亡くしたお話で、お釈迦様が説き伏せたときの一言。とてもシンプルな言葉だからこそ、突き刺さりました。

あきらめる、ってなんだかマイナスなイメージがあって、「そんなことしても無駄だ」とか「できない」と言われてることを頑張ってやることに希望があるのかな、と思っていました。だから、簡単に「あきらめる」って言わない。
それに対して、「明らかに知ること」。

わたしの中で、「あきらめる」と言う言葉で出てくるのは、「スラムダンク」です。周知の言葉、安西先生(主人公のバスケの監督)が「諦めたら試合終了です」。
これを仏典童話の言葉に沿わせてみると、精神論ではなくて(もちろんそれも大事だけど)、「今の状況を知った上で、でもまだチャンスはあるんじゃないか?」ってことかな、と思ったのです。

漫画の最後では、全国大会で常に優勝している「山王高校」とあたります。そこでも、安西先生はかなり現実的です。強がりとか、安心させるために「大丈夫」とは言いません。でも、どこまでも可能性を考えます。あきらかに知った上で、無理なことはやめる。

仏典童話でも、おしゃか様は、おばあさんが息子の後を追って死ぬのではなく、これを学びとして生きなさいとおっしゃっていました。無理なこと(息子を生き返らせること)は捨て、可能なことを行う。これは、今の私たちの生活にも刺さる言葉ではないでしょうか。

・「慈悲」の意味について
これは、あとがきにあった言葉で、花岡大学さんが他の著作で書いた言葉です。

「慈」はマイトリーと言って、「真実の友情」「純粋な親愛の念」
「悲」は、カルナーと言って、「哀憐」「同情」「やさしさ」「あわれみ」「なさけ」と言うことだ(中略)原語の意味は、それらのことばのうしろに、さらに深いものが秘められており、いってみれば「呻き」といった方がいいかもしれないと聞かされて…

特に強烈だったのは、「呻き」という言葉。苦しく、辛いことをこれほどまでに的確に、イメージさせる言葉はあるのだろうか、、、としみじみと感じました。

「慈悲」って、仏様が持つような心持ち、だとは思いますし、なんだか境地だな、と思うのですが、それってとても広く深く「許す」ことができるお方、それは決して多くの人には持てない心であるから、人々はお釈迦様を尊敬するのだろう。寄り添うように言葉をかけてくれるが、それは冷静な指摘ではなく、心の中でともに呻いてくれているのではないか、、、と自分のイメージが覆った瞬間でした。

柔らかく、時に鋭く、私たちに仏教の世界を伝えてくれる花岡大学さんに感謝を込めて。

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