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【Podcast更新】2%くらいの自信が「だから嫌だったのに」に喰われた人の話

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放送後期

全てのことに本気になれたことがないと気が付いた。気が付いただけで、それを治せるように持っていけないこともわかってしまった。

全てのことに本気になったことがなくても、必死になったことはあった。
それは中学時代に勉強時間をめちゃめちゃ増やしたことだった。
必死を本気でないとしたのは、勉強をしていた動機が「教師に名前を憶えられていなかった」と「親に干渉されたくなかった」とが相まっただけの情けないものだったから。
良い高校に行くなんてことは後回しで、とにかく自分の居場所のためだけに、そのほか何も考えずに必死だった。

本気ではなかったために、唯一本気でしてきたことに近しい勉強でも
「だから嫌だったのに」「どうせできない」「別にやりたくてやってない」という言葉たちで頭をいっぱいにした。

そんなハチャメチャな状態でも、成績が伸びた。
「だから嫌」「どうせ無理」が頭の中で茂っていても、その奥地に2%くらいの自信があったんだと思う。
動機が不純で、本気ではなかったから、その自信は簡単に枯れた。
「だから嫌」「どうせ無理」という言葉が自信を喰い荒らした。
その末、息が肺に届いてないみたいな呼吸しかできなくなった。真っ暗だった。

8月31日の夜になんで今も薄暗いところに住もうとしてしまうのか考えだしたら、こんなことを思い返してしまって27時を過ぎるまで眠れなかった。
こうしてまた誕生月の9月を迎えてしまった。
深夜に巡ってしまった記憶や言葉をそのままに録音した。
これがなにになるかわからない。
話したとて、なにか行動する前に必ず「どうせできない」「別にやりたくてやってない」って思ってしまうことと、動いた後で「だから嫌だったのに」「別に関係ない」と思ってしまうのは変わらないだろうと、
また「どうせ」で埋め尽くされていく。

上記の回を思い出した。
この回も今回の 2%くらいの自信が「だから嫌だったのに」に喰われた人の話 も、友人や親に話したくても、してしまったら何かが終わってしまうからできない話だ。
そういう意味でPodcastらしい、丹羽さんらしい回だった。

また2のつく日には、にわかに広い庭を開きます。
どうか次の2のつく日まで、目や耳をお安めください。
私も、例年よりも生暖かい秋の夜風にあたって落ち着いておきます。

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