FGOから入ったFate初心者がHeaven's Feelを観た話(※ネタバレ満載)

タイトル通り、FGOからFateシリーズに触れたFate初心者(stay nightは原作ゲーム未プレイでアニメだけ視聴済み)が、
劇場版Heaven'sFeelの1章と2章を観た感想をひたすら書きなぐりました。
ネタバレ満載&めちゃくちゃ長いです。3章はまた今度。

Heaven's Feel、びっくりするほど面白い


いやほんと、まじで。

Heaven's Feelめっっっちゃ面白い。


DEEN版SNはもちろんUBWもサーヴァントありきでストーリーが進んでいくから、HFもそうかなー、と漠然と思ってたらとんでもなかった。
これまでSNのアニメを見ていて(当たり前かもしれないけど)これは英霊と人間の物語、英霊ありきの物語だと思っていた。
英霊であるセイバーがメインのDEEN版SNはもちろん、UBWもアーチャーの正体が物語上大きな意味をもつ。
その上でDEEN版SNもUBWも物語の主人公は衛宮士郎という印象が強い。セイバー、凛はヒロインであって主人公じゃない。

でも、HFは違う。
あくまで2章までの感想だけど、
これは間桐桜による間桐桜のための間桐桜が主人公の物語だと思った。
どんな名高い英霊もここでは間桐桜の引き立て役、メインディッシュを彩る付け合わせのサラダみたいなもん、それくらい桜の存在を大きく感じた。

1章ではバトルシーンが多いので、英霊たちの脇役感は少ない。何より士郎の隣にはまだセイバーがいる。
しかしDEEN版SN、UBWでは士郎の相棒として画面に映りまくっていたセイバーも、ここでは邪魔者なのかもしれない。
セイバーが退場し士郎がマスターではなくなった2章から、物語はより深く濃密になっていく。


それにしてもサーヴァント退場早っ


聖杯戦争ってやっぱりサーヴァントどうし、マスターどうしの駆け引き、どこからどう攻めるか、戦略がどうストーリーに絡んでくるか、というのも見所の1つだと個人的に思っている。
凛と士郎の共同戦線は他の2ルートどちらにおいても強い敵サーヴァントを倒すことに成功しているし、それがクライマックスまでの1つの山場になっている。

ところがHFでは敵サーヴァントがあっという間に退場していく。
キャスター若奥様も佐々木も、他ルートではあんなに見せ場があったのに、出てきたと思ったら反撃する間もなく退場。葛木先生も一言喋っただけ。他ルートではあんなにブイブイ言わせてたのに…葛木先生…。
ランサーもすごい勢いで全力疾走してるなーと思ったらそのままの勢いで退場。美しすぎるフォームで舞台の上手から下手まで一直線に駆け抜けて一瞬でハケてったランサー、君のことは忘れない。
あのギルガメッシュすらほぼ見せ場なく退場。DEEN版でもUBWでも最強のラスボスとして立ちはだかったあの英雄王が。意味深なこと呟いたりわざわざ桜とすれ違ったり、強キャラ感だけ匂わせてわりとあっさり退場してしまった。
いや、それだけ桜が危険な存在だという証左ではあるのだけど、他ルートであれだけブイブイ言わせてた英雄王を思い出すと 、つい
それだけか?それだけなのか?英雄王?(五七五)
と言いたくなる。

最大の味方であるセイバーが退場した時、どないすんねん、と思った。だってセイバー退場したら戦力ゼロに等しいやんけ。どないして戦うねん。これ1章やぞ。間桐のジジイと戦われへんやんHeaven'sFeel-END-待ったなしやんけ、と。
思った私の前に現れたのは。

間桐桜という女


間桐桜。
本作の主人公。

いや、最初からおったやん?

違うんですよ。
まともなサーヴァントたちがほぼいなくなった2章から桜の存在感がめちゃくちゃ増していってることに気づいたんですよ…!!

桜は控えめな女の子で、自己主張もあんまりしない。しかし、彼女の内側があらわにされた時、一言では語り尽くせないほど濃密なドラマが生まれる。

主人公・間桐桜の本領発揮。

彼女の筆舌に尽くしがたい悲惨な生い立ち、家庭環境。そこに差し込む衛宮士郎という一筋の光。
この部分だけだと桜は単なる可哀想な善人だけど、そこに実の姉・凛へのコンプレックスが入ってくることで間桐桜という人物像、そして物語がぐっと厚みを増す。
凛は桜を大事に思っているし、桜にとっても凛はヒーローだし憧れてもいるけれど、それと同時に嫉妬もしている。凛は桜に無いものを全部持っている。この上、士郎まで奪われたくないという、暗くて切なる感情がじわじわ滲んで見えてくる。
土蔵の中で、凛が例の走り高跳びのエピソードを話しているのを立ち聞きして涙するシーンではそれが如実に現れている。

そのあとに夜這いに行くもんだからちょっとたまげたけど、「や、やるやん桜…」と感心してしまった。
士郎への恋慕と欲情だけじゃない。士郎を凛に取られたくない、誰かに先を越されないうちに既成事実を作りたいー。
そんな業、欲がほんのわずかにちらりと覗いて見えて、間桐桜は可哀想なだけのいい子ちゃんではないと確信した。この人間味こそが桜の魅力。
このめちゃくちゃ濃密な人間ドラマこそHeaven's Feelの面白さの理由だろう。

「もし、私が悪い人になったら、許せませんか?」

劇場版HF1章~2章での印象的なセリフを聞かれたら、私は迷わずこれを挙げる。

この作品では、誰もが持ちうる人間の業や悪が随所に顔を覗かせる。1章終盤でセイバーは心臓を食われるより自身の闇と対峙することを選んでセイバーオルタになってしまうが、HFは自分の中の悪とどう向き合うかが1つのテーマになっているのだろう。

人間は善悪を併せ持つ生き物だ。非日常の聖杯戦争の渦中にある桜たちもそれは例外ではない、と気づいたとき、キャラクターたちは現実味を帯びて私たちに迫ってくる。

人は誰しも自分のなかに闇を抱えている。みんな、一度はその闇に気づいて愕然とした経験があるんじゃないだろうか。
「もし私が悪い人になったら」という仮定は、誰にでも当てはまるものだろう。

劇場版Heaven's Feelは、『間桐桜といつか罪を犯すかもしれない私』の物語とも言えるのかもしれないと感じた。

桜には大暴れしてほしい


ここからは少し本筋から離れて、桜に対する私の心境の変化の話。
劇場版HFを観るまで、私は間桐桜のことを別に好きでも嫌いでもなかった。

むしろDEEN版SNを見たとき、そこはかとなく漂うヤンデレっぽさに「あ、ちょっと苦手なタイプかも」と思った。
さっぱりしたカッコいい女子が好きなので、凛を好きになった。
Fate/zeroを見て桜の悲惨な境遇を知り、桜のイメージはさらに「重い」「暗い」というネガティブなものになってしまった。

でも、HFの物語を通して桜の、いい子だけどいい子なだけじゃないところに親近感がわいた。

桜の痛みが全部分かるわけじゃないけど、彼女が士郎に対して抱く、人を愛するがゆえに生まれるどす黒い感情はものすごく共感できる。好きな人は独占したいしどっか行ったり危ない目に遭うくらいなら閉じ込めたいよねー分かる分かる。

あと、凛みたいなすごい姉がいたら私も絶対コンプレックス持ってたと思う。好きな人があの姉と仲良さげにしてたら絶対警戒するし嫉妬するし排除したくなるよねー分かる分かる(実際、黒いたこさんウィンナー状態になったときは毎回凛狙ってたし…)

桜に共感できるところがたくさん見つかって、今では「こんなひどい目に遭わされてきて、桜が怒らんなら私が代わりに怒っちゃる!」と思うくらいには桜のことが大好きだ。救われてほしいと切に願っている。満開の桜の下で笑う彼女が見たい。その足元におびただしい死体が埋まっているとしても、償えないとしても、それでも。

今までたくさんひどい目に遭ってきた分、桜にはたくさん怒って大暴れしてほしい。いい子ちゃんなんかやめちゃえ、桜。
大丈夫、桜がいい子じゃなくても、士郎も凛もライダーもみんな桜のことが好きだから。
全部終わったら、春が来たら、幸せになってね。

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