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御陵に曼殊沙華さき磐之媛面も白し十五夜の月

御陵に曼殊沙華さき磐之媛面も白し十五夜の月

みささぎにまんじゅしゃげさきいわのひめ
おもてもしろしじゅうごやのつき

磐之媛命・・・仁徳天皇皇后。佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の一つ、磐之媛命平城坂上陵(いわのひめのみことならさかのえのみささぎ)に祀られるとされている。記紀によるととても嫉妬深く、仁徳天皇30年に八田皇女(磐之媛命崩御後、仁徳天皇の皇后)を宮中にいれたことに激怒し、山城の筒城宮に移り、同地で没した。

曼殊沙華(彼岸花)は、室町時代には日本に入っていたが、奈良時代にはなかった。