歌う左手を作るために ~「7Levels of "Twinkle Twinkle Little Star"」を視座として~

はじめに

このエッセイは、ピアノ学習者(初級から中級レベル程度)の特に左手を歌わせる練習に適した楽曲を取り上げて、その学習法や活用法について私見を述べることを目的としています。

世の中に、右手が歌う曲は数えきれないほどあります。左手のための練習曲も少なからずありますが、右手に比べると圧倒的に数が少ないのが現状です。これについて、ハノンやピシュナのような、指のトレーニングに特化した教本を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。

師事している先生にもよりますが、幼いころから取り組む楽曲の多くは、右手がメロディー、左手が伴奏だった、という方も多いかもしれません。特に左手の指のトレーニングをしていない場合、バッハのインベンションとシンフォニア、モーツァルトやベートーベンのソナタを弾くようになると、困ったことになります。右手が効き手の方の場合、思うように動いてくれない左手をいかに歌わせられるようになるかは、重要な課題になります。

本稿の前提ーー歌えなくなった左手

私事で恐縮ですが、スケールとアルペジオ全調、バッハのシンフォニアや平均律、ツェルニーやクラマービューロー、リストの練習曲を弾いているうちに、滑らかに動くようになってきた気がする、と勝手に思っていた私ですが、大学入試に際し、全くピアノに触らせてもらえなかったところ、特に左手が、また動かなくなってしまいました。

久しぶりにレッスンに行った時、先生には、「左手の親指がね・・」と言われ、どうやら左の手首と親指の付け根が固くなり、うまく動かなくなっていると気が付いたものの、弾き方を間違えたままいくら練習しても、ちっとも上達しません。いろいろな練習曲を試し、属七や減七の和音をアルペジオにして弾く、ショパンのエチュード(Op.10-3)の、右手部分を左手で弾く、などもしてみましたが、弱った薬指で沈没してあまり効果がない。薬指の弱さも問題ですが、固くなった手首のために、必要以上の重さが薬指にかかって沈没する、手首や腕の重みを支える重心を取る感覚を、忘れてしまっているのも原因のようでした。

様々な試行錯誤の中で、歌う左手づくり(もちろん右手も)に最適と思える楽曲に出会いました。それが今回ご紹介する、角野隼斗編作曲「7Levels of "Twinkle Twinkle Little Star"」です。

「7Levels of "Twinkle Twinkle Little Star"」の概要

おそらくこの記事をご覧になっておられる方の多くは、この曲についてすでによくご存じで、ここで私が改めてご説明するのは、釈迦に説法かもしれません。しかし初めて聞く方のために、簡単にご紹介したいと思います。詳細は、ヤマハミュージックから出版されている楽譜か、作曲者のチャンネルをご覧いただければ幸いです。

「7Levels of "Twinkle Twinkle Little Star"」は、タイトルからもわかる通り、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」(*1)にインスパイアされたものです。Level0からLevel7まで、主題と7つの変奏部から成っています。モーツァルトの原曲のテーマがLevel0で、そこからLevel7まで、それぞれの変奏に様々な作曲家のモティーフを織り交ぜながら曲が展開し、難易度が上がっていく、という形をとっています。作曲者の角野氏は、この曲のコンセプトについて次の2点を挙げています。
①演奏者自身が今どのレベルにあるかわかるような曲を作りたかった(*2)、②YouTubeというメディアに、変奏曲というスタイルはぴったりだと思った(*3)。

そもそもこの曲(というより角野氏の楽曲)は全体として、両手でメロディーやポリフォニーを奏でるように作られているのが特長であり魅力だと言えます。このような特長を備えた楽曲は、ピアノ学習者にとって最も重要かつ最高の教材と言っても過言ではないでしょう。

歌う左手づくりの練習ポイント――Level 2の内声をレガートで

さて本題です。左手の歌う指づくりに適していると感じ(あくまで私の感覚として) 、特に注目したいのは、この曲の第2変奏、Level 2です。

一見簡単そうに見えますが、この左手を、楽譜通りというより作曲者ご本人の演奏のように弾くのは、かなりのスキルが必要です。この左手の練習法ですが、ペダルを使わず、内声を美しくレガートで弾けるようになることが重要です(オクターヴでどうしても届かない場合を除き、届くところはきちんと押さえて弾く)。低音は5や4の指で押さえたまま、他の指を動かして、滑らかに歌うのがポイントです。

指の独立と脱力

美しく歌わせられるかどうかを決めるのが、脱力と指の独立です。具体的には左手を柔らかく保ったまま、無駄な動きをせずに弾けることが重要です。指の独立ができていないと、指を動かすたびに音が途切れたり、手首や腕が大きく上下したり、脇が開いたり、指の特に第1関節(爪に近い関節)が内側につぶれたり、1つ1つの音をはっきり発音できず、だんごになったり、という事態に陥ります。この無駄な動きを抑えようと下手に力が入ると、今度は脱力ができず、打鍵が鈍くなり腕の重みが弦に伝わず、音が悪くなるばかりか、余計な力が入っている部位を痛めてしまいます。

左手は、ベースの下降形(ファミレド)を捉えながら、さらに内声(ドソレドシド~)を歌わせる。これを右手の和音に潜むメインテーマのメロディーと内声(ミレドシラソ)とも絡み合わせて、立体感のあるポリフォニーを形作ることが求められます。すべての声部をレガートで歌えているか、自分の耳でよく聴いて練習し、歌えるようになったら、ペダルを使うのがよいと思います。

また個人的には、この変奏部を弾く際の手のポジションは、無理なく正しい重心を捉えられるようにできていると感じます。ポリフォニーが歌えるように練習することが、そのまま指の独立と重心の取り方、脱力を学習することにつながるのです。

 おわりに

この曲を練習することで、脱力と指の独立という、ピアノ演奏で重要なスキルが身につくと、少なくとも私は感じました。個人差はあるかもしれませんが、クラシックのピアノ練習者にもお勧めしたい一曲です。

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*1:Wolfgang Amadeus Mozart(1756~1791)作曲、原題《12 Variationen über ein französisches Lied “Ah, vous dirai-je, maman”》(直訳「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」のフレーズによる12の変奏曲)。この曲の主題は、18世紀にフランスで流行したシャンソンのテーマに基づくとされています。
*2:「ショパンコンクール 角野隼斗特別トークイベント SNSで楽しむクラシックの魅力」note主催 2021年11月19日。
*3: NHK-FM 「RadioCrossover」、岸田繁氏との対談、2021年12月29日放送。

※参考:作曲者ご本人への本作品に関するインタビュー記事「異色のピアニスト 角野隼斗に迫る」↓
https://www.ymm.co.jp/feature2/sumino/

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