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「消費者」のままでいることをおそれるな
80年代の「高度消費社会・肯定」と、同時期にあった「高度消費社会・批判」の流れから、「生活の中心である賃金労働を『生きがい』にしようと思っても、たいていはノイローゼが待っているだけだ」というテーマのことを長々書いたのだが、どうも堅苦しくなってしまったのでアップしない。
しかし「仕事(賃金労働)に全精力を傾けると、ノイローゼ、過労死、その仕事が突然なくなった場合は燃え尽き症候群などが待っている」ということは、私が書かなくてもみんな知っているだろう。
一時期流行った「サウナで整う」とか「推し活」とかも、結局は「金がないとどうにもならない」ことで、それは単なる「消費」にすぎず、そういうことを広告代理店かなんかが広めていることに警鐘を鳴らす人もいるが、「自身の生活に直接かかわる賃金労働に生きがいを見出すべきだ」という主張の方がよほどキケンである。
はっきり言ってそんなものはテキトーに、クビにならない程度にやればいいのである。
芸能人でたまにスッパリやめてしまったり、長期間留学したりする人がいるのは、やはり「タレント」という職業はキツいのだろう。
常に人と比べられる職業で、なおかつ生活が安定しない、どうやったら人気が上がるのか、売れるのか、人気を維持できるのかもわからない、となれば、不安要素しかないもんな。
しかもそれが、あこがれ率がかなり高い職業であることが、生きることの辛さを物語っている。
とにかく私は、よっっっぽど、「自分にとって天職である」と思えない限り、自分の仕事に全精力を傾けたり、職場環境を一生懸命改善しようとしたりすることをかなり危険視している。
(もちろん、それがやれればやれるに越したことはないが。)
確かにマスコミは、「人に金を出させる」ことしか報道しない、と言っていいくらいだが、「生の実感のある仕事に就きたい」みたいなことを考えて迷宮に入り込むのも危険だし、浪費癖にはいくつものセーフティネットが社会的にも付いているが、「仕事がしたくてしたくてしょうがない」結果、ノイローゼになる人をフォローする制度はあまりにもぜい弱だ。
できるだけみんなで、そうだな、「ど根性音頭」とかを踊って騒いでいた方がいいんじゃないか。
「ど根性音頭」を知らない若い人も、これを歌って踊るべきだと思う。
「アラレちゃん音頭」でも良い。
音頭でなくても良い。
無音でも良い。
何でも良い。
おしまい
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