見出し画像

90年代サブカルの話2024(90年代で2024って矛盾してるじゃねーか!」って言う人集まれ~)

まあ、はっきり言って「かまし」の時代だよね。
90年代サブカルの時代は。
「相手にどれだけかますか」みたいな。
それがイヤだったら、「私は敵ではありません」って早いとこ、尻尾降るみたいなさぁ。
ヤンキーの話じゃなくて、おたくとかサブカル系の人間関係の話だからね。

この「かましてくる」ってのは「マウンティング」ともニュアンスが違ってて、「おまえはいったいどういう立場なのか」っていう、言語化はしてないけどどっちが上かはっきりさせるみたいな。
くだらん話ですよ。

小山田クンの「いじめインタビュー」も、「かまさないとすぐになめられた」っていう時代の雰囲気を勘案すると見えてくるものもあると思う。

彼は当時、周囲には死体写真を愛でたりシャロン・テートの殺害シーンを詳細に調べたり、わざわざハズレの風俗に行って体験レポをしたり、音楽ライブのステージでブタの臓物をまき散らすような人たちに、「なんかかまさなきゃ」って思っていたんじゃないかとは思いますよ。

そうでなきゃインタビューであそこまで危ないところに踏み込まないでしょう。

自分は90年代を通じてずっとパソコン通信や、後半からはネットをやっていたんだけど、論争が起こるのはまず「相手にかまさないとやっていけない」からだよね。
批判されて応戦しないと、臆病者だと思われるというか。
今考えると、ラッパーのbeefとぜんぜん変わらない。
beefはまだ音楽でやってるから多少の生産性はある。

サブカル界の「かましあい」は、はっきり言って、愚かでしたな~。
(まあ、中にはホントの不良で、そういう「恐い生き方」しかできなくて、それで結果的に恐れられていた人もいると思うけど、そういう「ワルぶったところ」を偽装するやつも大勢いた。くだらない。)

それで、コミケでも他の現場でもいいけど、交流の中でプロとアマチュアが入り混じるじゃないですか。
私は今でもそうだけど、プロの文筆業者とか、何らかの商業的コンテンツに関わって生活している人には、必ず敬意を表することにしている。たとえ人格的にロクでもない人間でも。
その理由は、私だったら趣味でやってることだから、イヤだったら最終的に放り出してケツまくってもまあ生きては行けるが、何らかの商業的コンテンツに関わって生きている人は、そこを放棄すると生きて行けなくなっちゃうからね。
私とは、基本的に立場が違うと思っている。

ところが、今度は「そういう立場」を利用して「かましてくる」人がいるんだよ。
ホント、そういうヤツってクズだと思ってた。
とくに90年代ね。

はあ、いやな話をしちゃったから楽しい話をしようか。

いや、やっぱりやめようか。
夕日がきれいだから、遠回りして帰ろうか。

うるせぇ!!
ラッセーラ、ラッセーラ、
もひとつおまけに、ラッセーラ

それにしても、フランス革命の際、解放されたバスチーユの監獄には数名しか収監されていなかった、ってホントですかね。

まあ、ググりゃわかるか!!
一億総ググり社会。

ぐりとぐらとググリ。

がっははははははははははは!!!!!!!

おしまい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?