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中年以降の「感動が目減りしている」気持ち2024(読むと気分がアガります)

「あちこちオードリー」を観ていたら、ゲストのおいでやす小田が、
「東京に来てから楽しいことが何もない。いちばん楽しかったのは小学生の頃なんじゃないかと思う。ビックリマンの本を買ったときのワクワク感を上回ることが最近、ない。たまたまテレビでやっていた深夜映画に没入する感覚がない」
と言っていた。

その気持ち、すごくよくわかる。

私個人は映画「シン・仮面ライダー」を観たときの感動を超える感動がほとんどない、というか、あるにはあるのだが、他人と共有できないことが多い。

「千鳥の鬼レンチャン」に出ていた斎藤京子が意外に歌がうまかったこと、あと日向坂の藤嶌果歩という子が、歌がうまいことを知ったときに予期せぬ感動があった。
しかし、どちらも他人と簡単には共有できないだろう。
二人のファンなら、そんなこともともと知っているだろうし。

お笑いはいまだに面白いと感じ、バラエティ番組やネタ番組を観たり、実際に見に行ったりする。そして面白いと感じることはよくあるのだが、「面白いなぁ!!」という感動が持続しなくなってきている。

なんか、つい「どうせ才能のある人が、運を味方につけて、極上のものを仕上げてきているんだからおれには関係ないな」って瞬時に思ってしまうんですよね。

「才能のある人」への嫉妬心も、トシをとってからすごく強くなったと思う。
「ヒット商品開発秘話」とか、くやしくて観ていられない。
「ああ、この人たちはヒット商品にたずさわることができたんだ」
という「うらやましい」感情しかない。

かといって「才能のない人」、「才能があるのかないのかわからないが、なんとなくなさそうな人」がつくるものを観ても仕方がない。
四十代くらいまで、
「才能があるのかないのかわからないが、なんとなくないっぽい人の作品」
まで観ていたが、正直、かなりの時間のロスだった。

あとコンプライアンスがどうした、とか価値観の変化で、昔、輝かしかった出来事も否定されることが多くなり、5~6年前から、過去を懐古してもあまり楽しくなくなってきた。

それと、中年以降のそういう現象に関して、「脳の変化がどうの」とか「人間がトシを取るとはそういうことだ」みたいな、訳知ったことを言うヤツが非常にムカつく。

まだ、そういうヤツに怒りの炎を燃やす元気はあるようだ。

ホントにムカつくよな、訳知ったヤツ。

キンタマをわしづかみにしてちぎりとってやろうかと思うよ。
オンナだったら、まず仮想キンタマを取り付けてからちぎりとってやる。

なんだよ「仮想キンタマ」って。

FANZAで、売れよ!!!!!!!!!!(命令)

おしまいっス


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