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イライラしてしにそう2024

「男女数人で食事をしたり酒を飲んだりした際、だれがサラダを取り分けるか」というのはけっこうな問題らしい。というか「象徴的な問題」らしい。
結論から言えば、その場で気の利いたヤツが取り分ければいい。
感染症とかが気にならなければ、思い思いに個々人がサラダに直接フォークを突っ込んで食べてもいい。

しかしどうもあやしい。
今の時代、「女性がサラダを取り分けるべきだ」と主張する者がいるのだろうか?
だったら議論も何も、そんなやつとは食事をしない方がいい。
「いや、信じられないことにそれがいるんですよ」みたいな話なのだろうか。
ま、そんなこと言われても私にはどうにもできないが……。

この間、何かのコントで、「仲のいい女性三人のうち一人が、合コンを持ってきて、乗り気でなかった女性の一人が話を聴いているうちに、『やっぱり行く』と言い出す」シチュエーションがあったのを観た。

「え? 気が進まないんじゃなかったの?」
「だって、私が行かないとサラダを取り分ける係りがいないでしょ」

この会話はコントの主眼でもなんでもないのだが、大変な含蓄がある。
単に「サラダを取り分けるのが女性であるべきではない」という主張を超えている。

まず最初は合コンに気が進まなかった女性は、「だれか気の利いた者がいた方が、合コンは楽しくなるだろう」ということを言いつつ、乗り気でなかった自分が意見を翻したことの、照れ隠し的な意味も含まれている。

言われた方も、発言が照れ隠しを含んでいることを、きっと承知しているだろう。

また、この会話の中には「モテるために『女らしさ』、『気が利いていること』を『擬態』する」というニュアンスもある。ここでは「サラダを取り分ける」ということはその場かぎりのことであり、別に何かを象徴しているわけではない。
このコントが進むにつれて、三人の女性のそれぞれの男性の好みみたいな話になるのだが、
「平日、仕事が忙しいことを理由に、休日に甘えてくるような男性はイヤだ」と女性三人がはっきりと言っている。

最近、テキストを書いているうちにどうでもよくなってくる、という症状が悪化してきているので、唐突に終わる。

おしまい

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