漫才師がコント師をディスるとき

昨日、観たトーク番組に漫才師とコント師が出ていた。
で、漫才師の一人が、まあ同じ場にコント師がいるからひとくさり、という感じで、その場にいるコント師をずっとディスってた。
もちろん「お笑い」の文脈ではあるが。
以下みたいな感じ。

・チラシをフライヤーと呼ぶのがカッコつけてる
・メッセージ性のあるコントをやるのがカッコつけてる
・単独ライブのラストに20分くらいの長尺のコントをやるのが気に食わない
・単独ライブの全演目が終わった後、舞台に挨拶しに現れて、ちょっと照れているのが気に食わない

「チラシをフライヤーと言う問題」って、90年代からある。
90年代にとあるおたくライターの人が「チラシをフライヤーと言うのがサブカル」とか言ってた。
ほんと、つまらない。
それならスパゲッティも「パスタ」ってぜったい言ってほしくないですね。
「パスタ」というのが「カッコつけてる」と思われている時代、ありましたからね。

「メッセージ性のあるコントをやるな」というのも、意味がぜんぜんわからない。
漫才だってメッセージ性のあるものはあるだろう。
「このメッセージはなくても、このコントは成立するだろう」というのならまだわかるが、そんなコント、観たことない。

「単独ライブのラストに20分くらいの長尺のコントをやる」、これは構成上の話だろう。
ラストのコントがある程度長尺だと、お客さんも何となく満足した気分になる。
逆に頭から長尺のコントをやって、ラストにショートコントを何本もやったら変な感じになるだろ???

「単独ライブの全演目が終わった後、舞台に挨拶しに現れて、ちょっと照れているのが気に食わない」
これもまったく意味不明。では堂々としていたらいいのだろうか。
コントのみの単独ライブの場合、最後の最後に演者は初めて役から降りるから、「照れ」が入っても別にいいだろう。
ラストのコントの役のまま、最後の挨拶までやったらなんだかおかしいだろ(そういうコントライブも探せばあるかもしれない)。

面白いつまらないではなく、上記のことは、意味不明だ。
「よくぞ言ってくれた! コントライブってそういうところが違和感だったんだよな!!」というところがまったくない。

こんなことをいちいちおかしいと言っていたら、漫才の中でコントに入るパターンだっておかしいことになる。
「おれマクドナルドの店員やりたいんだよね、練習したいから客やってくれる?」
そんなやつ、いるのか?(笑)

漫才のネタの中で、何百回やっていても初めて聞いたようなフリをするのも、おかしなことになる。

私もいろいろ考えましたよ。
テレビではもっと笑いの取れる、でもどこかから文句が来ることは言えないので、そういうのを避けて避けて、出がらしでしゃべってんのかな、とか。

「単独ライブのタイトルがカッコつけてる芸人がいる」みたいな物言いも、ぜんぜん意味がわからない。
「カッコつけ」がフリになってるから、いいんじゃないの?
「爆笑おもしろ寄席」とでもすれば満足なのか?

昨日のトーク番組にかぎらず、「あるある」みたいのがテレビではあまり面白くなくなってきた。
たぶん芯を食ったようなことは、もう何も言えないんだろう。

おしまい

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