戦略的に一番を手放す

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陸上競技の世界は常にタイムで勝敗が決まるため、自分の現在地は明白だ。

レースはもちろんだし、普段のトレーニングでもタイムが付き纏う。

タイムは自分の成績表みたいなもので、数字一つに喜んだり、落ち込んだりと、振り回されることも多い。


自分が夢を見て、全てを賭けて、取り組んだ成果がタイムとして表れるのだから、気になるのは当然だし、当事者たちにしか分からない、数字以上の「何か」がそこには確かに存在する。

数字というのは扱い方を間違えると非常にやっかいなもので、というのも簡単に他者と比較できるため、無意識のうちに、様々な場面で自分を計ろうとする。


自分自身、現役時代は常に周りと比較するタイプのランナーだった。

例えば、トレーニング一つとっても、「〇〇選手よりも良いタイムだから、今日は良いトレーニングだった!」

というように、誰かと比較する中に、安心感や成長を見出していたが、ある時から、全く満たされていない自分がいることに気が付いた。


他者と比較して得られる幸福感は長続きしない

心理学の世界では、他者と比較して得られる幸福感は長続きしない、という研究結果が出ている。

確かに、よくよく考えてみれば簡単なことで、何か一つの物事を極めようとした時に、その評価を他者と比較した瞬間から、それはすなわち「世界一」にならないと幸せになれないゴールを設定してると言っても過言ではない。

県大会で一番になっても、全国大会で一番になっても、上には上がいる。

お金に例えるなら、どれだけ稼いでも、世界一の総資産でも築かない限り、価値が無いよね、と言っているのと同じである。

かと言って、競技者である以上、世界一を目指すことは自然なことで、世界でたった一人にだけ許された場所を目指すことは、もちろん素晴らしいし尊いことだと思う。


しかし、それだけにしか価値が無いか?というと決してそうではない。

そもそも、走ることに意味なんてないし、どれだけ速く走ったところで価値はないのだ。そこに価値を見出しているのは、人間が勝手にやっていることであって、本来はただの特徴でしかないのだから。

しかし、頭では分かっていても、心は執着してしまうもので、競技者として過ごした10年余り、結局、数字(競技成績)と上手に付き合うことはできないまま、ついに競技生活を終えたのだった。


今だからわかること

あの時、自分の価値は競技成績しかないと思っていた。

競技成績を残せなかった自分に果たして価値はあるのだろうか?と何度も悩んだ。

引退を決意したことを母親に伝えたときも

「引退しても(価値の無い自分と)今までと変わらずに接してくれる?」

と質問し、電話の向こうの母親を困惑させた。


でも、今なら分かる。

結果だけが全てじゃない、結果に対して真剣に向き合うことは変わらないのだけど、それは自分を構成する一部でしかないのだ。

100点を取ることに全力を尽くしながらも、どれだけ頑張ったって結果はコントロールできないのだから、100点を取ろうとしている自分をまず認めてあげてほしい。

そのためにも自分に対する評価は様々な軸を持っておくと良いと思う。

単一の視点から見た自分よりも、多面的に見れた方が解像度も高いし、こっちではうまくいってなくても、あっちではうまくいったよね、と心のバランスを取りやすい。


スタートラインに立ち続ける

具体的な内容は忘れたが、ある記者が世界的に有名なロックバンドに成功の秘訣をインタビューしたら、こう返ってきたそうだ。

「とにかくステージの上に立ち続けることだね」

陸上競技に置き換えるなら、「スタートラインに立ち続けること」だろうか。

チャレンジし続けることをやめない限り、成功をつかむチャンスは誰にでも訪れる。そんなことを言われているような気がした。


残酷だけど、99%のアスリートは一番を目指しつつも、一番になれていない自分を受け入れるしかないのだ。

そして、その時間の方が圧倒的に長く、どうやってその時の感情を扱うか?が大切なのだと、引退してから思うようになった。


いつか来るその日を信じて、

あえて、戦略的に一番を手放す。
(一番に執着しないとも言えるかも知れない)

厳しい競争の中で生き残るには必要なスキルなのかも知れない。


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