藤村シシン先生の『秘密の古代ギリシャ、あるいは古代魔術史』がちょっと凄すぎる本だった
遅ればせながら藤村シシン先生の新刊、『秘密の古代ギリシャ、あるいは古代魔術史』という本を読んだのですが、いや…ちょっとこの本は凄まじすぎて衝撃がすごかったのでついダイレクトマーケティングしたくなったのでこんな文をしたためてしまいました。
とはいえ、「もうこの本自体が魔術書だろ」「この本に中学2年生を近付けるな!性癖歪むぞ!」みたいなオタクノリの痛めな言葉たちを旧Twitterとかに書き連ねたとてこの本の魅力を伝えられるのか?と思ったので、多少野暮になるのを覚悟で、どこがどうすごいのか伝えようとする試みであります。
王道の前作、異端の今作
まずシシン先生といえば、前作『古代ギリシャのリアル』も名著であり、どうせギリシャ神話初心者に向けの表層的な話しかしてないんでしょォ~?と侮っていたら(すみません)、相当に深い話もされてて、しかもかといって初心者の人の入門になりつつ、もっと知りたい!という知識欲もゴリゴリ刺激する…というオールレンジ対応のなんとも器用すぎる作品だったわけですが。
というわけで次作はどんな内容になるんだろう?とワクワクしてたら、え!?魔術!?
前作がめちゃくちゃ王道なテーマだったのに、今回はひねりを加えてきたとかいうのを超えてもはや異端。オーソドックスからヘレティックとかいうこの振れ幅…!
だけど別にそれが悪いというわけでは決してなく、むしろ神話の本の次は魔術の本って、もうみんな大好きなやつじゃんッ!って感じで、お昼にハンバーグが出て夜ご飯が焼き肉だったみたいなテンションになっちゃう。よく、「温度差で風邪引くわ!」というツッコミを耳にすることはありますが、この場合、サウナの後の水風呂で整っちゃったわ!みたいな感じでしょうか。
参考文献がガチすぎる…!
で、この本の内容のすごいところなんですが、やってることがとにかく豪華でかっちりしてるのに、軽妙洒脱な語り口や豊富な図版のおかげで読みやすくて、ところどころにあるシシン先生の解説やツッコミでフフッ…となるという、ガチさとユルさが高いレベルで一体化しているものとなっております。知識を究めつつもそれを面白わかりやすく解説するというこの芸風はちょっとやそっとじゃマネできない領域にあるんじゃないでしょうか。
まずガチさの面ですが、参考文献まみれなんですこの本。しかも日本語じゃないやつばっかり。研究書かよこれは。いやまあ、巻末の参考文献リストにズラーッとリストとしていっぱい並べてる本は別に珍しくもないんですが、この本の場合、論文のようにところどころに脚注などで示してあります。大学の卒業論文などでこういう形式の文書を作った方ならよくお分かりかと思いますが、こういう作業ってクソめんどいのにシシン先生ようやるわ…!
しかしそのおかげでガチさが爆上がりしつつ、もしこの話についてもっと知りたければ知れる手段が用意されてるんだよな!という命綱感も。まあ、実際に論文読もうかと思うかと言うとまあ、その、アレなんですが!…とはいえ、自分では絶対登らないであろう高所に設置された柵を見たときのような、「もしここに登れって言われても…安心だな!」みたいな感じで心の平安が約束されますね(伝わるかなあこのたとえ?)。
そもそも「古代ギリシャ魔術」という珍しいテーマで一冊の本を出すというすごさ
しかしそれにしても、古代ギリシャの魔術なんて、面白そうだけど難しいテーマで一冊書くというだけでもものすごいことだと個人的には思ってしまいます。
というのも、魔術について知りてえ!という若いうちにかかる麻疹的なアレで何冊かその手の本を読んだことはあるんですが、そういう本って参考文献どうこうじゃなくて、「秘密の魔術結社に所属する著者が魔術の知られざる一端を特別に読者の皆様にお教えしよう…」みたいなノリで、資料を元にした実証的なというよりもどちらかといえばスピリチュアル重視な方向性で、内容自体の胡乱さにかこつけて情報も胡乱にしやがってよぉ!といったものが多かった、という苦い経験がありましてね…。
後年、そういえばあの本の内容ってどうだったんだろう…?と思って参考文献(になったと思しき本)をチラッと調べたりもしたもんですが、「悪魔を召喚したらこの呪文を間違えずに唱えないと死ぬ」と書かれていた呪文が、件の本に書かれていたものがフツーに間違っていたりしたものでした。おい!本当に悪魔召喚に成功してたら訴訟もんやぞ!
でもこの『秘密の古代ギリシャ』に書かれている情報は全くそんなことないです。というより、前述したように、疑うなんて余地が与えられずにバッキバキの参考文献が物量とパワーに物を言わせて殴りかかってきますからね。というわけで、この本があれば呪詛だろうが死霊の召喚だろうがやりたい放題です。やろうと思えばですが。
何って…古代ギリシャのテクノロジーをちょっと再現しただけだが?
そもそもこの本はどこ開いても「物凄いことをこともなげにこなす」で構成されてるということは、前述の参考文献の多さですでに証明済みなのですが、そういうすごいところは他にもありまくりです。この本を読んでいると、チート主人公に「何って…無詠唱で魔法を使っただけだが?」とかなんとか言われたときのモブになった気分になれること請け合いです。
たとえば、「著者が実際ギリシャに行って撮影してきた写真です」みたいなのが何枚あったんですが、すげえけどまだわかるんですよ。うん、そりゃまあ、ギリシャがテーマだし現地に取材とか行くもんだよな、と。
でも、「錬金術の実験を実際にやってみて銀貨を金色に着色した写真です」とか、「蒸気が動力になっている古代の自動ドアを理工学部の教授と再現した写真です」とかをサラッと紹介されると、は????今なんて???????ってならざるを得ないでしょうがよ!!!
そんなすげえこと、普通は本の1セクションぐらいは使ってやるやつじゃない…?なんつー贅沢な使い方を…!いやまあ、繰り返しになってしまいますが、そもそも外国語文献を丹念に読んでまとめるという研究論文レベルのことをエンタメ本に使うということ自体がまず贅沢な使い方といえばそうなんですけどね!?
このユルさこそ本体なのかもしれない
とまあこの本のガチな部分もすごいのですが、かといって小難しい本というわけでも全然ないのがすごい。何しろ図板が多いので、仮に、文章をすっ飛ばすとかいう勿体なすぎる読み方をしても、それはそれで「こだいギリシャまじゅつ超だいずかん」みたいな感じで読めもします。特に、宝石魔術のページは、カラーページであることを存分に活かした色とりどりさで個人的にイチオシです。
あとはやっぱりそこかしこに鏤められたシシン先生によるツッコミやコメントの数々。このユルさによって魔術のおどろおどろしさや研究そのもののガチさが和らげられているというか、緩急がもたらされています。
いや、見ようによってはガチな部分は「主」じゃなくて、このユルさを増幅させてさらなる可笑しみを与えるため「従」であるかもしれない。…と言ったらさすがに言いすぎではあるんですが。
あんまり紹介するとネタバレ的な感じにもなるし、わざわざ書くのも野暮になっちゃうので数例でとどめておきたいのですが、たとえば、古代の魔術師が描いたヘカテーの、その…お世辞にも上手くはない絵に対しての「虫みたい」をはじめとした辛辣なコメントとか。アッそれ言っちゃっていいんスね!?
あとは「急急如律令」にも似た、魔術の効果が早く現れるよう祈る文句ēdē ēdē tachy tachyを「なるはやで」と解説し、しかもシシン先生の周囲では「なるはやで」を「エデタキュで」という話とか。(なにそれめっちゃ楽しそうな界隈だな畜生!)
…などなど随所に散りばめられたユルいネタの数々。あとはキミ自身の目で確かめてみよう!
ゾシモスの幻視はこの本そのものだった…?
それにしてもこの本、これまで紹介してきたように、ガチさとユルさが共存しつつ、しかも内容も充実しまくっているので、読む人読む人によって(あるいは、同じ人でもその日の気分次第で)違って見える、万華鏡的な本であると思います。
たとえば、専門家の書いた研究書のように見える部分もあり、ビジュアル方面に力を入れた図鑑のようにも見え、あるときは古代ギリシャ文化への理解を深める雑学本とも見え、ある章は魔術からの変遷から読み解く古代科学史ともなり、あるいは本当に魔術を実践したい人のマニュアルともなる…などなど。
この「受け取る側によって変化する」という性質は、この本で紹介されているゾシモスの幻視の話を思い出させ、この再帰的な構造がまさに魔術的!なんて思ってしまったりもするのですが、まあそこまで行くと、好きなものを分析しているときにオタクが陥りがちな誇大妄想的なアレになってしまうのでこの辺にしときます。
でも、この本を言い表すのに「雑多さ」というのは間違いなくキーワードの一つになってくると思いますので(もちろん決して貶し文句ではなく!)、そこだけは疑いようのない点としてお伝えできたらなあ、と。
(※以下余計な話)
最後に本当にどうでもいいことを。そんなわけでこの本、大変素晴らしいのですが、個人的にギリシャ語のカナ書きがちょっと気になってしまいました。
シシン先生はφ(ph)を現代英仏語風にファフィフフェフォで表記される派っぽいのですがここは古代の発音に即してパピプペポでいってほしかった…!
あと、読みやすさ重視のためなのか、長母音もそこまで厳密に付けない方針で表記されているようなのですが、ギリシャ語のリズムの再現のためには多少の読みやすさを犠牲にしてでも付けてほしかったところですね。…なんて話は本当にどうでもよくて、だからといってこの本の素晴らしさは何ら変わらないのですが、あくまで個人の趣味として、ということで…。