父親に今だからこそ言えること【父親像】
どうも。日刊書くメシU30'sマガジン土曜日担当の西嶋(@ultrarunneman)です。今週で書くメシU30'sも4週目に突入しました。
父親について
さて、今回のテーマ父親像。
皆さんの父親はどのような人でしょうか?
お題をいただいた時に気づいたのですが、これまでブログにじっくりと書いたことはありませんでした。
この機会にどんな父親か、嬉しかったこと、感謝していること、してもらいたかったこと、今だから言えることについて記していきたいと思います。
父が名前の名付け親
中学校の理科の教師をしている父。寡黙で人前で目立つことを好まない性格。痩せているとは嘘でも言えない体型をしています。それでも昔は大学で陸上部に所属していた中長距離選手。足が速く、マラソンを2時間40分台で走っていたそうです。
僕の「利彦」という名前は、父が名付けました。マラソンに魅了されていた父が駅伝やマラソンで世界に名を轟かせた英雄・瀬古利彦選手のファンだったからだと聞いています。
それでも、父から陸上部に入りなさいと言われたことはありませんでした。それどころか進学・進路についても持論を押し付けられたり口出しをされた記憶はありません。決まったことに対して、ただ、「おめでとう。頑張り」と背中を押してくれました。
嬉しかったこと
嬉しかったこと。それは、旅行やキャンプなどいろんな場所に連れて行ってくれたことです。
夏休みになると両親が学校の先生だったということもあって、遠出する機会が多くありました。
四国の海に行った時は、断層について解説してもらいました。僕はあまり理解できていませんでしたがw断層やら石など本当に好きなんだなと子どもながらに思ったのを覚えています。
登山をいま僕が好きなのもよく、いろんな山を一緒に登っていたからかもしれません。北アルプスから近くの三日月山という小さな山まで何度も登りました。
自然の四季の移ろいを味わえたこと。共有できる思い出を小さい頃に作れたことは嬉しかったですし、とても感謝しています。
感謝していること
感謝していることは、「走ること」に出会うキッカケをくれたこと。
自ら走ることに興味を持ちました。小学校6年生のときに描いた夢はマラソン選手。最初は、学校内のマラソン大会で1位になったと報告したときの父の喜ぶ顔が嬉しかったんです。
誰かに負けることに悔しさを始めて感じたのも走ること。ホノルルマラソンにチャレンジしたい。100キロマラソンを完走した先に見えるものは何だろうか?自分は「走ること」という行為そのものが好きになっていました。
してもらいたかったこと
してもらいたかったこと。ずっと考えていましたが、思いつきません。きっと父が苦手としていたことは母が補っていたと思うので。
今だから言えること
最後の段落では、父に宛てて書こうと思います。
僕は「お父さんに似ているね。」とこれまで言われたことなかった。それは、内向的な父よりも外交的な母や祖父と比べてるとちょっとタイプが違うからだと思う。
お母さんに「僕と父さんどこが似ていると思う?」と聞いてみたら、「足が速いところと穏やかな性格」と答えていたよ。
プレッシャーを与えることなく、見守り続ける。そういった語らない父の背中を見ていたのかもしれない。
時々何を考えているんだろうと思うこともあったけど、朝3時に起きてから仕事をしていたり、休みの日は家を大掃除のごとくキレイにしているところ。そして、何かしたときに誰かに誇ることなくやり続けているところは、まだ僕が到達できない境地だと今だからこそわかる。
そして、お父さんが29歳のときに僕が生まれたんだね。当時はどんな感じだったんだろうね。
綱渡りのような安定していない生活をしているけれど、いま、こうやって誰かに喜んでもらいながらもチャレンジできているのは父さんや母さんのおかげ。まだまだ子どもで心配かけることもあるかもしれないけど、よろしくね。いつもありがとう!
おわりに
今回の記事は、自分の父親像について語っていきました。似ていないなとこれまでは思っていましたが、一緒に過していくなかでやはり受け継いでいることが結構あることに気づけました。皆さんもぜひ父親をはじめ、身近な人がどんな風に自分に関わり、自分が形成されてきたか分析することをオススメします。経験談も書き出しやすいですし、自分というものがちょっとずつ見えてきて新鮮な気持ちになりますよ。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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