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自叙伝

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発達障害者の自叙伝です。まとめて読めます!
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#自叙伝

スキー教室で暴言を吐かれた話#自叙伝07

私は小学校4年生の時にスキー教室に参加した。スキー場にバスで移動し、そこでインストラクターによってスキーを教えてもらった。担任の先生は基本的に指導をせず、スキーのレベルに応じてグループ分けをし、それぞれにインストラクターがついた。私は小さい頃からスキーをやっていたため、一番上手なクラスに配属された。上手なクラスは初めからリフトで上がる。 頂上に着くと、第一声「並べ!」と荒々しく言われた。しかし、その時、私は板のエッジが効かず、後ろに滑ってしまった。インストラクターに「何やっ

小6担任の執念 自叙伝#06

江戸仕草担任は”江戸仕草”の話をよくした。「江戸の人は相手を気遣い、傘をさしている人同士が通る時には、互いに外側に傘を向けて通る」という話だった。その話は耳にタコができるくらい聞かされていた。 ある日の全校集会で校長がその話をそっくりそのまました。そのあとに、校長が実際に傘を持って実演してみせた。その相手役が担任だった。 校長室の花校長室に入ると、いつも花がたくさん置いてあった。全部の花をプレゼントしたのも世話をしていたのもその時の担任の先生だった。 校長の百人一首校長

小学校6年生 自叙伝#04

新学期最初の日、その先生はいた。B(仮名)先生。始業式の後、みんなで集まった。B先生は「今からお弁当食べるけど、自由席にしてもいいか多数決を取ります。一人でも反対する人がいたらみんな一人で食べます」と言い、多数決を取った。その時に咄嗟に僕は手を上げなかった。 先生「みんな上げてる?」 友達「福くんがあげてません」 みんな僕の方を見る。 先生「理由は?」 僕「えーと」 友達「先生、これってただなんとなくって理由でも、全員一人ずつ食べるんですか?」 先生「うん」

自叙伝#03

小学校5年生小学校5年生になった時、担任の先生が変わった。 この先生は優しすぎた。 だいぶ、歳をとっていて、2年後に定年退職した先生。 子どもが孫のような感覚で、子どもを注意することができなくなっていた。もうおばあちゃんと呼べるような歳だったし、子どものバイタリティについていけなくなったのかもしれない。 そこでA(仮名)くんというクラスで浮いた子がいた。浮いていると言っても、少し普通とは違って、陰キャではなく、むしろ陽キャだった。でも、家庭環境が普通ではなく、毎日ヨレ

発達障害者 自叙伝

未就学児青葉モンテッソーリ 子どもの家 幼稚園に入る前に、2年間モンテッソーリ教育施設にいた。 物心ついたのはこのあたりだろう。 そこはモンテッソーリ教育をしているだけあって、とても自由な校風だった。 しかし、最初の2~3ヶ月はみんなの輪の中にはいることができず、親と一緒に小部屋にいて、そこから1歩も出ずに、みんなの様子を伺っているのだった。その頃、自閉スペクトラム症の症状はあったのかもしれない。 その頃から、母親の手を引っ張って自分の欲求を叶えるクレーン現象をして