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子どもの最善の利益

ここ最近職員室でこの言葉が飛び交っている。
いや、飛び交っているというのは正確ではない。
一人の保育士が『意気揚々と発している』というのが正しいだろう。

0歳児の担任の一人が子どもの排泄に関して自分の思いを話し始めた。
「少しでも排尿があったらすぐにオムツを交換するべきだ!」
彼女の主張を要約するとこんなところだ。
つまりこの保育士は

生活の切れ目ではなく、
「楽しく遊んでいる時」でも
「保育士と心を通わせる関わりをしている時」でも
「探索活動に勤しんでいる時」でも
子どもの行動を中断してオムツをまさぐり
少しでもおしっこが出ていたら直ちにオムツを変えろ。

と言っているのだ。

この主張を正当化するために出してきたのが、

「子どもの最善の利益」

という言葉だ。
この話を聞いた時、頭の上に「?」が4つくらい出た。
「何を言っているんだろう?」


他の0歳児担当の保育士たちは

「いや、今まで子どもの様子を見ながら適宜交換してましたけど?」

と思ったことだろう。

現在うちの園では15人という大人数の0歳児を5人の保育士で保育している。
もちろん国の配置基準は守っているが、簡単なことではない。
その内一人は嘱託職員だ。長年働いているベテランの保育士だが正規職員とは勤務時間や待遇に差がある。

さらに0歳児というのは1日の保育時間がとても長い。
長い子は7:30〜19:00までの約12時間を園で過ごしている。
そんな0歳児たちを保育する上で、生活の流れに合わせて多少子どもたちを「動かすこと」も必要になってくるだろう。
そんな中でも子どもたちが少しでも楽しく生活できるよう日々神経を擦り減らしているのにそんなピンポイントなこと言われても・・・。

だが、最も問題(だと思われる)のはこの主張をしてるのが

「育休明けの時短勤務をしている正規職員」

だということだろう。

何が問題かって?
育休は当然の権利だし、少子高齢化に突き進んでいる日本にとって子どもを産み・育ててくれていることはとてもありがたいと思うが、制度的にちょっと厳しい面があるからだ。

だってその職員は早番や遅番など変則勤務がなく、朝も帰りも保護者に会うことなく、職員会議や行事の準備に参加したこともないのだ。

一番子どもを見ている時間が少ない保育士に

「オムツが少しでも濡れていたら歩きにくいし、子どもの最善の利益を損なっているから何を差し置いても替えるべきだ!」
「あなたたちの保育は子どもの最善の利益を考えていない!」

なんて言われて
「先生の言う通りです!これからは気持ちを入れ替えます!」
なんていう人がいるだろうか?

勘違いしないでもらいたいのだが「育休や時短勤務がダメ」と言っているわけでない。
私が気になっているのは
「何故今なの?」そして「何故そのこと(オムツ)なの?」
ということだ。

新年度が始まって早8ヶ月。
「言うタイミングなかった?」
「それって普段保育をしながら話せなかった?」
と思うのだ。

保育士をしている以上「子どもの最善の利益」はついてまわる問題だ。
自分も日々保育をしながら

「これでいいのか?」
「これは子どもの現在と未来に有益なのか?」

と考えている。

でも、それは一方向からの視点では難しいとも思っている。

保育園にはたくさんの保育士がいて、年齢も性別も考え方も様々だ。
幼児教育の考え方も変わってきて、それと同時に風当たりも厳しくなってきている。
今回のオムツ問題にしても、様々な視点があるだろう。

「排泄の自立に向けて快・不快に敏感にならなくては。」
「子どもの興味・関心を妨げるべきではない。」
「1日に何回もオムツを交換したら保護者への負担になる。」


様々な意見や考えをお互いにぶつけながら本当に必要なことは何なのかをすり合わせていくことも「保育士の専門性」なのではないか。
そしてそうしていくことが「子どもの最善の利益」に繋がるのではないか?

今回そのことが0歳児クラスの担任同士で行えていなかったことが浮き彫りになったと言うことだろう。

はて、これからどうやってこの問題、というかこの「保育士間の考え方の溝」を埋めていったらいいのだろうか。

「オムツっていくらくらいするんだろう?」
そんなことを考えながら明日に備えて眠ることにしよう。

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