violet

劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンを映画館で鑑賞してきた。消して忘れる事のない事件と新型コロナウイルスの影響で、延期の延期、そしてやっとの事で上映が始まった。何ヶ月くらい、待っただろうか、そして何人が待ち望んだのだろうか。上映開始と同時に観に行きたかった。けれど予定が合わず、やっと私自身も観に行くことが出来た。地元の映画館は上映していないので、少し郊外へと向かった。朝一番の上映を予約して観に行った。映画館は人で溢れていた。チケットを発行して、アルコール消毒をして、検温をして、チケットを見せると、劇場特典が貰えた。以前の外伝の時、私は特典をもらうことが出来なかったので、これはかなり嬉しかった。そして、スクリーンから一番離れた席に着いた。ジブリの再上映で観に行って以来の映画館だったので、ワクワクしていた。この日をどれだけ待ったことだろうか。きっと私だけでなく、この会場に参加する全員がそうだろう。上映開始されたと同時に「kyoto animation」の文字が表示された。このロゴを見るたびに、あの事件の事を思い出す。追悼の意を捧げるように視線を送った。ストーリーについては深くは語らないけど、私がこの作品を見て思ったことは、「伝える」という言葉がどれだけ、普遍的で難しいのだろうと思った。伝えたい想いを、思うように伝えられない。それは身近で親しい人にこそ伝えるのが難しい。気恥ずかしさだろうか、優しさだろうか。そうして時間だけが経つと尚更伝えづらくなって、結局伝えられず終わる。けれどこの作品の登場人物はそうした中で、思いを手紙を通して伝えている。どんな状況でも。お祝いの言葉、寄り添う言葉、感謝の言葉、人を感動させる言葉、恋い慕う言葉、励ましの言葉、お別れの言葉。わたしは今誰にどんな言葉を想いを伝えたいだろうか。この作品の1話1話に物語があり、それは楽しいこと嬉しいことだけでなく、勿論苦しいこと辛いことがあって、それでもその思いはその人にとってとても大切な出来事で。そのすべてに愛があって、人と人との繋がりがあって、その人々の人生があって、日常があって、思いがあって、そのどれもが素晴らしくって。わたしは感極まってしまった。今回の劇場版でも、わたしはこの映像美を涙で滲ませてしまった。その場ではすべての思いが込み上がった。登場人物が想いを伝えられて本当に良かった。それもこれも、手紙のおかげで、代筆のおかげで、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のおかげ。そして、この作品に関わってくれた、スタッフさんのおかげ。本当にありがとう、この作品を心の底から、愛してる。

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