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頑張れと言う言葉の無責任さ

ある、やり取りを聴いて感じた事。

昨年末に近所に引っ越して来た家族の話

多分、家主は同年代の夫婦で子供は小学生の真ん中ぐらいの年齢だろう。

どこかの野球チームに入っているんだろうか?

玄関先で父親に泣きながら【言い訳】をしている

会話の内容からすると【レギュラーになれない】【試合に出れない】

【結果を出せないから チームメイトから叱咤される】と言った内容だった

てか、玄関先でやるなよ・・・・・・とは思った

多分、父親の方針なんだろうか?

父親は見た感じ【スポ根】系の人なんだろうか?兎に角、声がデカイ

子供がコトの顛末を話している所から【それは!】と話を遮っている

子供の言い分はそっちのけで、結論から話している

そして、それまでの【内容】が全くと言って良いほどスカスカだ

話を最後まで聴かないから、的外れなアドバイスをし そして最後に

【だから頑張れ】と締めくくるを繰り返していた。

吾からしたら、そもそもその子は野球が本当に好きなんだろうか?

言葉の端々に【もう嫌だ】【やりたくない】を連呼している

ああこれは、親父が唆してやらしているパターンなんだろうと感じた

例え好きでも本人としては【ゆるーく】やりたい派なのかもしれない

そんな時に、本人としては理不尽な要求を突きつけられたのだろうか?

そりゃ、やりたくない事で結果を出せって言われているなら結果は出ないだろう?

好きでもない事を【頑張って】も好きにはなれないだろう・・・きっと

そもそも【頑張れ】って何?

何を頑張れば理不尽な要求から開放されるのか?そもそも【やりたくない】事なのに

やりたくない事に【頑】を張るって 全く意味のない事だ

ただただ、【頑】を張る事は【意地を張って】いるだけ

痩せ我慢と同じではないだろうか?

そんな事に意味はあるのだろうか?

結果が出ないのは単純に努力と行動が伴っていないだけで

やりたくない事に努力する必要はあるのだろうか?

虐め問題でも同じ感じがする【虐められる理由】が分からないのに

ただただ【頑張れ】を連呼する教師

何を頑張れば【虐め】は収まるんだろうか?

【頑】を張るより、【願】を込める方が良いのではないか?

意地を張るより 願いを込める

心が先で 現実が後 とある勉強会で学んだ事

何が【願い】で【どう?行動するか?】で現実は変わってくる

ただただ、理由も分からず叱咤された所で【?】だし

ただただ【頑張れ】と言った所で【何に意地を張るんだ?】となる

頑張れと言うアドバイスはアドバイスでは無く

クソの足しにもならないただのクソバイス

何かを【教え】【伝える】のであれば どれだけ【経験】しているか?

【何が良くて】【何がいけないのか?】をまで伝えなければ

伝わらない。

【言わなくてもわかるだろう!】分からねーよ

【それぐらい自分で考えろ】そもそも話のスタートがわかりません

てな感じで 教えるのであれば抽象的ではなく

キッチリ教えなければ、全く意味のない話になってしまう

目で見て盗めなんて【和食職人】でもあるまいし

そんなのは時代遅れである。

中途半端な【星一徹】とやる気の無い【星飛雄馬】のやり取りを

ベランダで聞いていて思った事

願いを叶えるために頑張る(意地を張る)では結果は伴わない

願いを叶えるために【考え】【行動】する


全ては自分次第なんだろう

吾自身は【頑張れ】ではなく

【願張れ】と考えている。

それではマハロ




バンドマンらなではの【夢】の叶え方を発信して居ます。 皆さんの【夢】を叶えるために必要な記事を発信します ぜひよろしくお願いします。 天乃宮 幸風