男が悪いというプロパガンダ

これ、「男性保育士に反対しているのは男!男が全部悪い!」って主張をしたいのかもしれないけれど、男性保育士にクレームを入れているのは母親だと思うんだが。

進路指導の先生は別に男が保育士になることにネガティブなイメージは元々持っていなかっただろうけれど、マスコミ報道等で今の社会では男性保育士はスティグマを味わうかもしれないという意味でおすすめしないんじゃないかな。いや、私個人としては知っている男性保育士は真面目で熱心な人ばかりなので是非、男性が保育を担当するということが普通になってほしいのであるが。

仮に、女性保育士が園児を殺害したとしても「女性保育士の一律締め出し」は行われないであろう。マイノリティである男性保育士だからこそ、閉め出すことに保護者も同意するわけである。これは端的に性差別であるが、日本では「男尊女卑で男がマジョリティ」であるので、男が権利を不当に奪われることは差別ではない。「女性の権利さえ守られればよい。同じことを女性がされれば当然差別だが、男は不当な扱いを受けても差別扱いにはならないので黙って泣き寝入りいていなさい。」というのが多くのフェミニストや人権活動家の本音ではないか。

こういう状況は明らかなので、男性保育士という職業はもし自分の息子がそれを志望するならば私でも再考を促すように言ってしまう職業になってしまった。(私には息子はいないのでそういう機会がないことは幸いである)

もちろん保育士は崇高な職業であることは間違いないのだが、今は産婦人科でも女医を求める患者が普通にいる時代である。本来は育児についても男女平等であるべきだが、自分の診察を女医にしてもらいたい「女性」は自分の娘の着替えやおむつの替えも女性にしてもらいたがっており、それは差別であるという認識はなされない。つまり、男性保育士はそういう女性たちにとってはスティグマ扱いされうるということである。まあ、産婦人科医は女医に限るという人と自分の娘の着替えやおむつ替えは女性保育士に限るという人は必ずしも一致していないだろうけれども。

保育園経営者側の「性虐男性保育士に厳罰を」という叫びは園に勤めている真面目で有能な男性保育士を守るための苦肉の策であると思っている。

彼らは本当は男性保育士を守りたいと思っているはずである。しかし、リテラシーの低い「女性」たちにとって、男性保育士を擁護する保育園は単純に性犯罪擁護者としか受け取られないであろう。保育園経営側が性犯罪擁護と受け取られないように男性保育士を守るためには「女性」より更に過激化する必要があったということだろうと思う。

本来なら人権の擁護者であれば全ての人の人権を擁護する観点からたとえ犯罪者であってもその人権が不当に踏み躙られることには反対すべきであろうと思うけれど、それでは野党のプロパガンダにはならないのであろう。自分たち野党支持者は例えばアベとか、ネトウヨとか性犯罪者とかとにかく悪を倒す正義の味方という振る舞いで人気を得ようということなのであろう。彼らが悪と見做した集団は一切の人権を認めず、ナチスがアウシュビッツでやったように冷酷に最終処分を行うことで自分たちの正義を喧伝しなければならないということである。

多くの日本国民は、そういうナチスの宣伝のような単純なプロパガンダに騙されているようではリテラシーが足りないと言われても仕方がない。

進路指導の先生が保育士を目指す男子学生に対して「うん、その意気込みはよくわかるよ。だけど男性保育士はなあ。」と言わねばならない心の苦渋を見抜くリテラシーを持つのが先進国日本の国民としての責務なのである。

リベラルな国民であれば、そういうスティグマを受け入れる日本社会こそが誤っており、そんな社会を改善して、男性が保育士になることが当然とされ、男性保育士が不当な疎外を受けることなく安心して働ける日本社会を希求してゆくのが当然の話なのである。

最初のnoteでは森氏や佐々木氏が「男性保育士にスティグマを与える元凶である」と読める文章にしており、全て悪いのは男である一方で、女性は完全な被害者であり一切の責任は男にあるというプロパガンダを試みているが、これを何の疑問もなく受け入れる人はよほど洗脳されすぎていると思うのである。

まあ、男性保育士を拒否しているのは保護者の女性であるという事実は彼女たちにとって都合の悪い真実であるということは理解できるのだけれども。





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