萌え絵

以前、ツイッターで秋葉原の萌え絵に文句をつける女性とバトルしたことがあるが、その時は宗教右派とかPTAの人と戦っているという認識だった。PTAのおばちゃんたちなら若い女性に「はしたない、お行儀が悪い」と注意をするのが普通なので、そういう人が秋葉原の萌え絵を見たら「なんざますか、このはしたない絵は!お行儀が悪いざます!ハレンチざます!漫画や悪書は焚書ざます!!」と叫び出すのは当然である。宗教右派の神父さんや牧師さん(どっちがカトリックでどっちがプロテスタントかはよく知らないのである)も「実在か非実在かなんてことは関係がないっ!若い女性が肌をあらわにするのは悪魔の誘惑だ!」などと叫び出すことは容易に想像できるのである。

けれども、意外なことに、この闘いに参入してきたのは「フェミニスト」と自認する女性たちであった。

お前らウーマンリブ違うんかい。世界のフェミニストはおっぱいを丸出しにする権利を求めて戦っていることを知らないのか?という気分である。

彼女たちの主張では、男なら上半身裸でも放送コードには引っかからないのに女性が同様のことをすると猥褻物陳列になってしまうことに納得がいかん!ということのようである。

日本では特に明治以前は入浴における混浴も普通であったわけで、女性が上半身裸でも特に問題はなかった。そういう行為が問題視されたのは、明治になって開国したのち、日本も文明国の規範を取り入れて野蛮国ではなく文明国であることを知らしめねばならないという強迫観念にも似た方針が取られるようになってからであろう。

その結果、鹿鳴館が建てられ、夜な夜なダンスパーティが開かれることになり、田舎の学校では生徒が方言を使うと方言札を首からかけられて廊下に立たされることになってしまったのである。

当時の文明国、すなわち列強国はみな欧州のキリスト教国であったから、日本が輸入した倫理規範はキリスト教式の倫理規範であった。明治日本では官民挙げてキリスト教式の倫理規範の受け入れに躍起になったわけである。

明治天皇だけは偉かったから教育勅語には儒学である朱子学の考えを導入したが、これも敗戦時にGHQの命令で廃止になってしまった。

このGHQの威勢も日本人の思考形式に影響を及ぼすようになったのかもしれない。元々開国するまでは日本はもっと開かれていたのである。キリスト教国の方が謎の倫理規範に縛られていただけである。

フェミニズムはそういうキリスト教の倫理規範を打ち破って自由になろうという運動だったのではないか。だからこそ西洋のキリスト教の坊さんはフェミニストを悪魔的だと非難したわけである。米国の悪魔教もフェミニズムと類似の教義を主張している。

ところが、日本でだけはフェミニストたちが敬虔なキリスト教の坊さんと同じことを叫んでいるわけである。欧州の敬虔なキリスト教の坊さんはもう日本のフェミニストたちを同志と呼んでしまうのではないか。日本のフェミニストたちはもうフェミニズムよりキリスト教会で日曜礼拝に参加する方が心の平安を得られるのではないかと思うのである。

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