別姓婚

夫婦別姓にするのはただ会社で旧姓を使いたいからという人も確かにいるだろうけれども、やはり女性の実家との絆は強いと思うのである。

親子の絆といっても、女性が実際に妊娠出産して産みの苦しみを経て子供を持つのだからもうこれは無条件に母子の絆は強いのである。それに対して父親と子供の絆は僅かに人工的な「認知」に過ぎない。家制度もない中で、子どもという必然性は男には少なくなっている。

そうなると、母子はどんどんと絆を強め、異分子である父親を排除しようとするのではないか。母となった女性にとって夫の両親とは馴染みにくいこともあろう。自分の実家の両親の方がよく馴染むし安心できる環境であろう。そうなると、夫側とはどんどん疎遠になる人が増えるわけである。

もしかすると夫側にはまだ家意識が残っていて後継を期待する慣習があるかもしれない。しかし、妻が夫側より自分の実家を優先するようになれば自然と夫の家族と子どもたちは疎遠になってゆくだろう。そうなると、夫側と子供の絆は切れて、もう母親側に奪われたということで愛着関係も生じなくなるかもしれない。

子供にしても、いくら祖父祖母であると説明されたとしても、見知らぬ老人としか認識できず、愛情は母とその両親である祖父母のみに向かうことになるのではないだろうか。

逆に、夫にしてみれば妻の義実家とは馴染みにくいわけである。妻は自分の実家でリラックスしているのに夫がリラックスしていないことを不思議に思うだろう。妻の実家が理解して夫を婿養子のように我が子扱いしないならば、妻が夫の実家に行きたがらないように夫は妻の実家とは疎遠になるのではないか。そうなると、母子が母親の実家に取り込まれて夫が排斥される結果になるということであろう。

これは母系社会への転換ということになる。

母系社会となって母親側の家族が母子を支えるならばそれでいいのだけれど、中途半端に性役割意識が残って、夫が生活費を稼ぐべきだというわけである。今でも離婚すれば親権は母親の単独親権になるから夫には子供は二度と会わせたくないけれど、子供の生活費を出すのは当然だろうということになっている。別姓婚でもそれが男の役目だという意識だけは残ると思う。損得に関するところだから(元)夫に負担を強制することが自分の利益になるということで要求だけはすることになる。もちろん、お金を得ることができれば、人間としての元夫はもはや必要ないわけである。元夫は異物であり、異物を抱え込む負担は拒否するわけである。

今、家庭裁判所では離婚した夫婦について親権は母親の単独親権にするが、父親には子どもと面会交流させなさいという方針であるが、母親側は高葛藤であるとして面会そのものを拒否して、夫には一切子供を会わせないけれど、ただ養育費だけを支払えと要求している人が多いと聞く。

もちろん、男女両側に様々な意見があるということであろうが、夫婦別姓になれば、妻側は実家との絆をより強く保つことができるため、夫とのつながりは弱くなる人が多くなるのだろうと思うばかりである。

こういう状況が明らかになっても夫側には事態を改善する手立てがないことも事実である。そうなると、夫側の取れる予防策は一つであろう。つまりは結婚しないことである。結婚しなければ離婚することもないわけである。

「昔はものを想はざりけり」会わなければ、結婚さえしなければ最初から思い悩む必要はないのである。

恐らく、夫婦別姓を叫ぶ女性は夫となる男性が雌牛のように自分に従順であるべきで、何事によらず自分に従う奴隷のような存在であると信じているということであろう。何かあっても夫には感情も何もなくただひたすら自分に従い、妻の自分のいうことを何でも聞く聞くロボットのようなものだという前提があるから、自分がわがままを言っても全て聞いてくれる。無限の忍耐があるはずだという甘えで物事を進めたいのであろう。

今でも年に60万件の婚姻がある一方で20万件の離婚があるわけである。夫婦別姓を認めても状況を悪化させるだけでなんの利益もないだろうと思うが、もう止めようもないのだろうと思う。

私はもう結婚しているのでどうでもいい話ではあるが、もし夫婦別姓が認められてうちの奥さんが別姓を言い出したら、妻の実家が「すわ、遺産争いでも起こすのだろうか」と恐慌にかられやしないかというのが一番心配な点ではある。きっとそういうことはうちの奥さんは思いもしていないだろうけれど。

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