子どもの監護権争いを防ぐためには

うん、ごく一部には酷い男性がいて母子に暴力を振るう事例があることは間違いない。それは確かなのである。

じゃあ母親はすべての事例で正義であり、子供達を常に守るかというとそういうわけでもない。心理的虐待(精神的虐待)やネグレクトでは母親が加害者の事例も多いのである。なので、日本では児童虐待全体の加害となると実母の割合が1番多くなっている。

男が悪い

それを全部男が悪いのだ。片親阻害など言わずに男を最悪の悪者としてぶっ叩け!ということでは、多くの男たちはそりゃ結婚自体から逃げてゆくであろう。何しろ日本では婚姻事例のおよそ三分の一の離婚件数があるのである。特殊な一部の男だけの問題ではないのである。結婚するといつそういう事例が自分の身に降りかかってくるかわからないということになる。

そこでは一方的に男が悪い。例え妻すなわち母親が子供に児童虐待していてもそれは一切考慮にされずに離婚事例では親権は9割近くが母親のものとなる。しかも親子交流(面会交流)の実施率は3割なので7割の父親は離婚が子供との今生の別れになるのである。

実際、育休をとってイクメンとして頑張って育児をしたところでこういう状況は動かないだろうし、むしろ虐待者、DV男として周囲から非難の罵声が降ってくる可能性もこれからは増えるかもしれない。その上に二度と会えない子供であっても養育費は義務的に徴収されることになるであろうから新しい人生を切り開こうと思っても金銭的負担はこれまでの「養育費は一時的な餞別」の時代と違って重い負担になるだろう。新しい恋人を作って新しい生活をと思っても十分に女性に奢ったりする余裕はないかもしれない。

無論、養育費は元妻に無条件で渡すものであるからそれを子どものために使われるという保証はどこにもないのである。元妻が自分の洋服を買うために使っても新しい恋人とか元々不倫していた相手とのデートに使ったとしてもクレームを入れる権利はないのである。

フェミニストの理想の世の中、男には悲劇

こういう状況は男にとってっ悲劇以外の何者でもないと思うが、フェミニストにしてみると悪魔のように悪い男には当然の報いだということになる。

こういう状況になってからでは遅いわけである。

年老いた親や親戚は「早く孫の顔が見たい」などというが、それも結局は自分の介護要員を確保したいという欲望かもしれないのである。頑張って結婚して子供が産まれても離婚すれば9割は親権を失うし、面会交流すらできないのが7割である。男にとってこれは割りの悪すぎるギャンブルであると言える。

もう家制度はないので子供などいなくてもよいのである。後継者がいなければ残った財産は国にお返しすればいいのである。家を継がせて継続してゆかねばならないなどというのはもう八十年以上前の大日本帝国憲法と共に消え去っているのである。

女性は誰か知らない人と結婚して子供を産んで日本を繁栄させればよかろう。けれども男にとって結婚はリスクである。結婚しなければ離婚もないし、子供がいないのに児童虐待もない。妻もいないのにDVもないわけである。

フェミニズムの人も結婚しなければ自分がDVに会うこともないということに気づくべきである。

結婚せずにいれば不幸は来ない。フェミニズムの女性も結婚さえしなければ男尊女卑を感じることはないだろう。幸せでいられるのである。

そうすれば結婚も離婚もなくなり、そもそも子供も生まれないので監護権争いもなくなるのである。子供がいなければ親権という問題は最初から発生しないので問題は解決である。

フェミニズムやサヨクの女性は結婚のような不幸な道を選ぶことなく、模範的な労働戦士として企業などに奉職して昇進してガラスの天井を突き破って欲しいのである。今後少子化が進行するため、日本でも労働力の不足が深刻化することは間違いない。そんな時には女性たちが男と肩を並べてきっちりとフルタイム、残業ありで働くべきである。それこそが男女平等、ジェンダー平等の社会であろう。女性が妊娠出産したり子育てに力を割くのは労力の無駄である。こうすることで日本のジェンダーギャップは解消されてゆくのではないか。

フェミニズムが嫌な人にはちょんまげ頭の世界もあるべき

右派の女性、良妻賢母を目指したい女性は自由恋愛というよりもお見合い婚を復活させて専業主婦として生きてゆく自由があってもよい。そこではむしろおーいお茶と夫がいうと妻がお茶を持ってくるというサヨクにしてみればちょんまげ頭で大小を差しているような世界であろう。そこでは男は家父長制の家長として家族を慈しみ養わねばならないのである。妻は外向きには夫を立てて夫の収入から管理して家を切り盛りして実質的に家を経営してゆくという家内制手工業のような、中小企業のような形態ということになるだろう。

こういう家族形態はフェミニストにとっては明治時代に流行った「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする、ちょんまげ頭を叩いてみれば因循姑息の音がする」という歌のように、文明開化じゃないと感じられることは間違いない。けれども、俳人の正岡子規の祖父などは明治時代になっても死ぬまでガンとしてちょんまげで通したそうである。

サヨクは「多様性の世の中なので全員フェミニズムを称賛せよ!」というのであるが、全ての人が同じ意見を持つことを強制される社会は全体主義である。多様性のある社会とは実はざんぎり頭の人もちょんまげ頭の人も存在を許される社会なのである。無論、ざんぎり頭の人に無理やりちょんまげを作ったり、ちょんまげ頭のちょんまげを強制的に切り落としてはいけないのである。

ただ、フェミニズムの結婚のつもりで、夫の人権を剥奪して男は女性の奴隷になるというのが男女平等の結婚だと考えている進歩的なサヨクの人が結婚とは家を継続してゆくものであるから子育てをしてナンボであるとか、夫がおーいお茶、と言えば妻が茶を入れて持ってゆくという結婚生活を求められたら目玉が飛び出るほど驚くのも無理はないわけである。

なので、解決策としては結婚をAとBに分ければよいのではないか。すなわち、結婚Aは進歩派サヨクやフェミニズムの言う結婚、すなわち結婚とはご主人様である女性様に男が奴隷志願すると言う男女平等のものであり、結婚した時点で男の全人権は停止され、女性様の奴隷として死ぬまでお仕えするというジェンダー平等を目指すという明示した契約書(奴隷契約)を両人で取り交わせばよいわけである。結婚Bは日本の民間習俗に近い、大日本帝国憲法のような結婚で、女性は表面上は夫を家長として立てて、実質切り盛りして行き、子供を後継として家を存続させてゆくという契約で、義両親は介護を嫁にお願いする代わりに財産は兄弟均等分割ではなくてその長男夫婦に譲るという遺言書を書く訳である。いかにも古風なので印刷ではなく墨で手書きの契約書にしてもいいかもしれない。

追記: 一つ忘れていた。結婚Bでは次男坊以下は長女の家付き娘のところに婿養子に行くのである。もちろん、長男が婿養子に行って次男坊以下の誰かが親の介護をする代わりに遺産の大部分をもらうということも可能である。

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