まさか浮気相手の子供だったなんて

こういうストーリーは「家」という擬制がないと説明しにくいものだと思う。特に女性においては自らの血のつながった我が子という価値は他の何者にも変え難いということであろう。

シンデレラにおいても、後家さんとして嫁いできた女性は自分の連れ子だけを贔屓してもといた夫の実子は灰被りとして虐待したわけである。

こういう事例でもこの母親は夫の浮気相手の子供を育てる代償として夫とは血のつながりのない子供を我が子として育てることを要求したのかもしれない。

男から見たら泥沼の家庭である。この父親が当時提案したように素直に離婚していただくのがクールなやり方だったと思うが、この奥さんは夫の収入などに未練があったのかもしれない。つまり財布である。

家がなくなった現在は女性が結婚する理由は財布ということになったということであろう。恋愛結婚だなんだと言ってもそういう感情は4〜5年で醒めるという話もある。

男はその後は女性を家事育児してくれる存在として養わねばならぬと思い、女性は男はもう人間ですらない財布と思うようになったということであろう。子供は夫のものではなく自分の所有物であるという感覚である。

だからこそあの元卓球選手も離婚して元夫のもとにいた我が子を取り返して日本に連れ帰り、「この子は私のもの!」と主張しているのだろうと思う。夫のものではないのだから夫は財布として金を出すだけでよく、子供は自分のものということになる。

今、「離婚後共同親権絶対反対」を叫んでいるシングルマザーたちも同じ思いだと思う。元夫は人間ではなくただの財布だから人間ではないのである。人権もないし親でもない。だからこそ女性が主張するお金を黙って出せばいいのであって親ズラをして子供に面会交流をせよなどと要求してくるのは男尊女卑でおかしいということである。財布に面会交流を要求されるなんて人間に対する侮辱でしょう。財布を人間扱いせよというのは男を人間扱いせよということで女性差別であるということである。男は財布なのだから人間ではなくただの現金支払い機に徹せよ、まるで人間ででもあるかの要求はジェンダー平等に反する。男は人間ではなく財布であるというのがジェンダー平等である。

だからこそ男性と女性というのは女性差別なのである。男でよい。女性と男は女性という人間と財布という物質であるというのがジェンダー平等なのだから男性差別などという代物はない。ちなみに女性を養うこともできない弱者男性は財布として失格なのだからそもそも存在してはいけないということである。離婚弁護士さんも男という財布からがっぽりと搾り取ってこそ仕事になるのであって、自分が生活できないかもしれない一銭も払う余裕のない貧民の男にはハナも引っ掛けないということであろう。そういう連中は福祉の領域になるわけである。

だからこそ女性は夫婦別姓を求めているわけである。財布である男の姓に変えるって女性に対する侮辱でしょう。子供も本来女性の姓にすべきである。男の財布が大きければその財布の所有権を宣言するためだけに夫の姓に「変えてあげる」ということになると思う。

まあ、男に結婚する意味って今後はさらに小さくなってくるだろうと思う。嫁に全ての財産を吸い取られて嫁の実家を太らせることに喜びを感じるマゾヒズムの男性だけが結婚を歓迎することになるかもしれない。

家制度の意味は、女性をその実家から切り離して婚家の方に所属させることで、女性が実家ではなく婚家即ち夫の家を維持するという機能が強いということである。男女の平均寿命から考えると多くの夫婦で夫の方が先に死ぬのである。その時に生き残った妻の方が「夫の家はただの財布です。さっさと潰して妻の実家の財産に取り込んでしまいましょう。」ということになるとその財産は結局妻の実家の男兄弟に強奪されてその妻は泣くことになる。で、その男兄弟の妻の実家に財産が強奪されるという縮小のプロセスが始まってしまうことだろう。

多分、女性たちはそういうことには頓着しないので巣に蜜を持ち帰る働き蜂の役目をして貧困のまま死んでゆくことになるのである。で、貧民が増加し、財産はずる賢い家に集中するようになるので、貧富の差は広がって行くことになるだろう。フェミニストたちはこうなると「男が悪い!」と好きなだけ喚き回れるようになるので状況を改善したいという人は稀であろう。それよりも自由に男を殴り倒せる社会の方が彼女たちにはお好みだからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?