穢れの意識

いやあ、どこかでやると思っていたらエジプトでやったか。

今回のコロナウイルス流行で患者の治療に力を尽くし、遂には自分も感染して力尽きた医師の埋葬に地元の人が大反対しているというニュースである。宗教指導者も「医師の埋葬に反対することを禁じる」と言ったそうだが、疫病、それに伴う死の恐怖に怯える群衆を納得させることはできなかったということであろう。

日本でいうと「穢れの思想」であろう。コロナウイルスを身に纏わされた医師はエジプトの群衆にとっては「穢れ」なのである。「穢れ」は放逐されるべきだ、今すぐ我々の目に見えないところに捨ててこい、どこへだって?そんなの我々が考えることじゃない!っていう状況なのであろう。

日本の人権派の左派なら「無知なエジプトの民衆よ、我々は賢いから疫病は単なるウイルス感染であることを知っているぞ、清く正しくあるべきならバカなことを言わずに埋葬を認めるべきだ」って言うかもしれない。けれどもその彼らも、「じゃあ人手の足りないコロナウイルス病棟にお手伝いに来てください。いや、医学的知識はないでしょうから、亡くなった患者さんを安置所に運ぶだけでいいんです」と言われれば言を左右にしてお断りされると思う。

厚労省の第1種感染症の遺体の扱い指南書には(恐らくエボラ出血熱を念頭に置いていたのだろう)遺体は防水性の袋に入れて24時間以内に火葬しろと書いてある。その時、火葬場が遺体の焼却を拒否するなら「ウイルスは100度以上の熱で死ぬから大丈夫だ」と説得しなさいと書いてある。有名コメディアン氏がコロナウイルスで亡くなったが、ご親族が遺体は顔を見ることもできずにすぐに火葬にされたという。これは厚労省の指針に沿った対応なのだろうと思う。遺族の人は違和感を表明していたが、厚労省も病院も火葬場も三者とも、すぐに火葬した方が穢れないで済むという気持ちだったのではないか。

スペインなどでも遺族2人に顔を見せた後は速やかに火葬に付すという話をどこかで見たので厚労省の対応が大きく間違っているわけではないと思う。(スペインは通常は土葬のような気がするし)穢れの意識と感染予防の意識がどこかで混じり合ってよくわからなくなっているような気はしなくもないのである。

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