人口減少は悪夢ではないというためには

人口減少は悪夢ではないという主張が出ていたけれど(中身はあまり読んでいないけれど)、もちろん、明治の初期、幕末頃の日本の人口は3000万人程度であり、それくらい減少しても元々ではないか、それくらい減少してもなんの問題もないのだと言いたいのだろうということはよくわかる。

問題なのは平均年齢である。

織田信長の好んだ謡曲敦盛にも「人間五十年」というように、当時の平均寿命はが50歳頃だったわけである。もちろんそんな時代でも70、80歳の長寿を誇った人はいたわけだが、そういう人は少数であり、それゆえに「長老」として尊敬されたわけである。

現代はどうかというと、もう平均寿命が80歳を超えているわけである。もちろん、幼少期の死亡が減った影響もあるだろうけれど、それでも多くの人が80歳を超える寿命を誇るようになった。当然、高齢者に生産年齢人口のような労働を強要することはできない。彼らを扶養するためには生産年齢人口からの大きな負担が必要になった。

現状で高齢化率即ち65歳以上の人口は3割弱である。15歳未満の年少人口が15%くらいはあるだろうから、生産年齢人口は全人口の55%くらいであろう。つまり、今は2人で1人の高齢者を支えていることになる。これが今の団塊ジュニアの世代が高齢者になる2040年頃では年少人口は10%くらいになるが、高齢化率は40%ほどになる。つまり、50%の人が40%の高齢者を支えなければならなくなるのである。

これが大きな負担になるということである。そうなると、少子化の進行が早いと高齢者という重石を支える幹はどんどん細くなるということになる。少子化を憂える問題の根幹はここにある。多分、今、既に年間百万人を切ってしまっている出生数では今のシステムではとてもじゃないが高齢者となった団塊ジュニアを支えきれないだろうということになる。

それで、政府も定年を伸ばして高齢者でも働ける人には働き続けてもらおうという努力をしているわけである。検察官の定年延長は左派の抵抗で虚しく潰えたわけであるが。

多分その頃はほぼ1人の生産年齢人口で1人の高齢者を支えなければならないのである。少々生産性を上げたところでそんなのは困難であることはわかる。

そうなると姥捨山である。もう働けなくなった高齢者は支えることをやめて山に捨てるしかないということである。

もちろん、地方創生の美名で高齢者を過疎化して消滅した地方に再入植させるという手はある。つまり、屯田兵として、無人となったかつての地方都市に再入植させて自給自足させるという手である。そうすれば、少なくとも、現役世代の負担は減るかもしれない。けれども、それまで事務仕事だけで肉体労働をしたことのない人にいきなり鍬を持って畑を耕せなんて言っても無理であろう。ということになると、もう今くらいから将来の高齢者を地方都市に誘い出す必要がある。東京には若者だけでいい。もうくたびれてきた中高年には「どんどん地方に移住してリフレッシュした生活を送ろう!」というかつての海外移民を勧誘したようなポスターがこれから東京にはどんどん張り出されるようになるのではないかと思っているわけである。

いや、地方移住が悪いということは全くない。そこで人生の生きがいを見つけて全うしてくれれば若者たちの負担を減らすことにもなって一石二鳥と言えるわけである。単なる被害担当艦とされていた団塊ジュニアも最後に第一次産業に従事することで日本の食料自給率の改善に寄与できるわけなので意味が全くないということはなく人生を終えることができるかもしれないのである。

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