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10.沖縄最北端の王墓 ~義本王の墓~ (The Mausuleum gihon ou)

  沖縄最北端の名勝として著名な”辺戸岬”の近くにあり、道路沿いにある案内板も見落としやすい位置にあるため、多くの人々が通リ過ぎてしまう。人里離れたこの場所に王の墓がある。人がいない場所こそ訪ねたい。

義本王の墓 説明板

 道端に車を路駐して、案内板に従い階段を登る、結構傾斜が急だ。息を切らしながら一気に墓を目指す。説明版に目を落とし、先ずは予備知識を注入させる。舜天王統の第三王で1249年に即位したとあり、最後の王(英祖王に継承した)として伝えられている。現在、舜天王統は伝説の王統?だそうだが1249年という具体的な即位年号があるのも、あながち荒唐無稽ではないのでは…何はともあれ、まず墓の構造を見よう。

義本王の墓・ヒンプンがある

 墓は切石積みの2重構造(外壁+内壁)となっている。墓は平面形が正方形で、屋根頂上部には宝珠が見られる。正面は小規模な墓であるにも関わらず”ヒンプン”まであり格式の高さを表現している。墓内には大型の厨子甕があり人骨が5体以上確認されたそうだ。石積の技法には「継ぎ」といって木工技術の粋が取り入れられている。王の墓なので当然だが、何とも品の高い墓であることがわかる。

墓庭入口(ヒンプンが遮る)

 紹介する資料がほとんど無い。面白いのは義本王の墓の英訳で、「The Mausuleum Of Gihun-Ou」とあった。発音するとマウソレウムとなる。
墓は宝珠が設置され寄棟造りの仏教建築を思わせるが、マウソレウムとは霊廟という意味であり仏式霊廟ということなのだろう。
 辺戸岬を観光した後、何の知識のないまま車を走らせていると、「義本王の墓」という案内板が一瞬目に入った。通リ過ぎたが気になって仕方がない。しばらく走った後、車をUターンさせて路駐した。幸い車はほとんど通らない、つまり人がいないのだ。何故、ここまで来たのか?理屈を考える暇もなく、王の墓参りをしていた。明治時代に尚家がここを改修したという。小さくても王の墓だ。そこには自分一人しかいない。義本王に拝謁した様な不思議かつ贅沢な一瞬を沖縄県国頭村辺戸の地で味わった。辺戸岬まで訪れたなら必見である。何故なら、度々来れる場所ではないからだ。

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