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17.運天港を望む按司の墓~運天古墓群~

 沖縄県今帰仁村にある運天港近くの海岸に面した崖面に、長方形のブロック塀で囲われた異様な光景を見ることができる。これらは全て墓だ!港を見下ろす崖面中腹に掘り込まれた墓で、いわゆる岩陰掘込墓というらしい。沖縄の墓を見学する1番目に、数か月前付近にある「百按司墓(ムムジャナハカ)を訪ねている。今回はその下方にある古墓群を訪ねることにした。

岩盤を長方形状に掘り込んだ墓群

 沖縄県那覇市から車で約2時間、中部の名護市からさらに本部半島を目指す。名護市内は混雑するが運天の町は静寂で車も少ない。近くには伊是名島・伊平屋島行きフェリーが発着する港である運天港があり、密漁禁止と書いた立て札がある漁港を横目にみて道は突き当った。現在、墓はブロックで閉鎖されており、内部が見学できるわけではない。しかしこの崖面には著名な「百按司墓」、「大北墓」、無名の古墓や各門中墓を含め約60基の墓が確認されている。その範囲は東西約300m、南北約50m、平面積は約15,000㎡を測るという巨大な墓地だ。

運天古墓群の現況

  近くに車を止め、お参りさせていただく事にした。今にも崩れそうなブロック階段を登りきると、左右には多くのブロックで閉鎖された堀込墓、中には○○門中墓とあり、今なお先祖供養と共に儀礼がおこなわれていることが理解された。内部を見学できないので詳細は全く分からない。しかし崖面に並ぶ古墓群と眼前に広がる運天港の青い海が何とも不思議で穏やかな心境に導いてくれた。

運天の港(百按司墓から見る)

 運天の港では数名の釣り人が静寂な海に糸を垂れていた。何が釣れるのかは知らないし興味もないが、かつてこの地域が北山監守を代々務めてきた重要なポストの方々(按司)墓地であったことを知る人は皆無である。関心の無い方は当然なのかもしれない。(釣りに関心が無い小生と同じだと思い。納得する。)さて、もうひとつの目的は前記、「大北墓」である。周辺には案内板のようなものはなさそうだ。スマホのマップで検索すると数十メートル先にある。民家の間なので不法侵入にならないか不安を感じながら、歩いた。そこに「大北墓」はあった。


大北墓の説明板


大北墓(墓庭入口から撮影)


大北墓の古写真(左右の袖石がわかる)

 説明板があり、今帰仁グスクの第2監守の北山監守を代々務めた琉球王族・具志川御殿(元今帰仁御殿)の墓であるという。墓は同じく岩盤を掘り込んだ堀込墓で18世紀後半の築造である。御殿(udun)とは王家の分家筋にあたり、首里に引き上げするまで、歴代当主は今帰仁グスクに居住していたということだ。墓は南西に向いて墓口が開けられ、袖垣で囲われた墓庭がある。墓庭の入口から見ると墓口までかなり傾斜がありそうだ。袖石は墓正面から左右に弧状に延びるという。ここまで来て延びるという…ことなったのは上記写真の理由だ。御願(ugan)されているご家族?に遭遇したのである。誰もいなければ(いつも貸し切りと自分では言っているが)階段を登り多くの写真を取材させていただくのだが、今日ばかりは墓庭の入口で拝礼して退散することにした。その後、今帰仁グスクと今帰仁村歴史文化センターで当地の貴重な古写真が展示されていたので掲載させていただく。

今帰仁グスクから見た景色

 大北墓を見学した後に、今帰仁グスクを訪ねた。残念ながら?グスクを紹介するのではない。大北墓に眠る方々は代々北山監守とのことなので、今帰仁グスクに居住されていた。つまり、日々見ていたであろうグスクからの景色を追体験したかったのである。今日は晴天だ!(今日は沖縄とは言わずに敢えて琉球と言おう。)琉球の青空、琉球の爽やかな風、そして琉球の青い海と、グスクの曲線を帯びた石垣…を見ていつもの目を閉じて深呼吸してみた。確かに歴代の当主たちと対話できたような気がする。そして今なお対話されている人達にも出会うことができた。見えない縁を感じてしまった。

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